癒えない傷は無い<3A>―2





口直しにとヤマトが手ずから紅茶を淹れてくれるというので、 もう少しだけゆっくりしていくことにした。 洗面所から先程の部屋まで戻り、外れていたシャツのボタンを留めてネクタイを締める。 ジャケットを羽織り、ソファーに腰を下ろした所でヤマトが戻ってきた。 ローテーブルにティーセットが置かれる。喫茶店などで見かける本格的なやつだ。 カップにティーポットから注がれた紅茶は淡いオレンジ色。 ミルクと砂糖が入った容器も用意されている。 ミルクは気分的にやめておいた。見た目が先程顔にかけられたものとそっくりだったので。 俺はストレートでヤマトが淹れてくれた紅茶を味わった。 紅茶に詳しくは無いけど、香りも良いし飲みやすい。 高価なものなのか、淹れ方が良いのか。そのどちらもという気もする。 紅茶を飲みながら改めてヤマトの部屋を観察する。 無駄のない、生活感のない部屋。 壁に掛かっている古めかしい時計を見つけて時間を確認すると結構経っていた。 「ヤマト、さっき言ってた訓練って時間かかるのか?」 頭の中では親への言い訳を考えながらヤマトに声を掛ける。 俺が部屋へと意識を向けている時に着替えたのか、ヤマトも既に服装に乱れは無い。 ジプスのコートを身に纏い正面のソファーに腰を落ち着けて同じように紅茶を飲んでいた。 手にしたソーサーとカップをテーブルの上に置いて姿勢を正し、俺の問いに答えてくれる。 「1時間程度で済むだろう。何か不都合でもあるのか」 「ん、まあね。学校帰りに寄るとして…頻繁に帰りが遅くなると親がうるさい」 「行動を管理されているのか?」 「そこまでじゃないけど。普通の親で、普通に口煩いっていうか。  一応受験生だし、帰りが遅いと遊んでるって思われる」 「ほう。先程進学の話が出たが、親の体裁の為、というわけではあるまいな」 「……正直に言えば、そうだった、かな」 痛い所を突かれて、鋭いなと思いながらも俺は正直に告白した。 ヤマトは眉を寄せて不可解そうな表情を見せる。 強い目的を持ちながらも、自身を殺して生きなければいけないヤマトにとって、 自由がありながら目的もなく、なんとなく生きる人間は嫌悪の対象なんだろう。 以前、ヤマトを説得する時にそういった内容のことを話していたのを思い出す。 俺もヤマトが嫌悪するような人間の1人だったということだ。 視線を逸らさずヤマトと向き合って俺は口を開いた。今は違うと告げるために。 「お前と会うまでは夢とか目標って特に無かったし、親の言うことも一理あると思ったし。  親はさ、一流大学に入って一流企業に勤めろってのが口癖で、  素直に従ってれば楽だったし、逆らってまでしたい事って無かったんだ。  そう思ってたのは過去の話だけど。さっきも言った通り、今は目的がある。  胸を張って、お前の隣に立ちたいと思ってるから」 ヤマトの表情が変わる。瞼を閉じ、満足そうに口角を上げた。 「そうか、安心したぞ。それでこそ、私の認めた男だ。  ジプスの存在を公にすることはできんが、口添えが必要ならばいつでも言え」 「…ちょっと怖いけど、頼もしいな。いざって時はよろしく」 多分、善意で言ってくれているんだろうが、ヤマトの言葉に穏やかでないものを感じて、 なるべく自力で解決しようと思いながらも頷き、紅茶を一口飲んだ。 ヤマトは最終的に俺がジプスに入ることを確信しているようで、 その為の努力は惜しまないと言っている。 よっぽどのことが無い限り、俺自身もその可能性が高いことは解っているのでそれは否定しない。 ヤマトに必要とされる価値が俺にあるのかは半信半疑でも、必要とされること自体は嬉しい。 だからその時の為に出来る限りの事をしようと改めて思った。 紅茶も飲み終えて、そろそろ帰るかと腰を上げかけて、今更のように思い出す。 脅威とまで言われた自分の今の状態、何か対策があるんだろうか。 「さっき、俺の存在が脅威だって言ってたよな。  訓練って言ってもすぐにどうこう出来るわけじゃないんだろ?」 このまま帰って大丈夫なのか、そんな疑問をのせてヤマトに問い掛けると、 「ああ、護符を用意させている。……そうだな、君ならば或いは…」 そう言ってヤマトはソファーから立ち上がり、俺の傍まで近付いてくる。 俺も立ち上がって向き合う。ヤマトは俺の手を取り、静かに見つめてきた。 「目を閉じていろ」 真剣なその響きに、俺は素直に言われるまま瞼を閉じた。 「今から龍脈の力によって君の感覚を高める」 ヤマトの声が響く。直後、じわりと体温が上がった気がした。 「意識を集中しろ、力の流れが分かるか?」 声に従って視界を閉ざしたまま、目の前のヤマトを意識した。 繋がれた手、その先。通天閣で龍脈の力を行使していたヤマトの姿が脳裏に蘇る。 青い光。熱いような、冷たいような、そんな矛盾。 確かな力がヤマトを包んでいるのが分かる。 頷く俺にヤマトが更に言葉を続ける。 「では、今度はその意識を自身へと向けろ」 そんなもの今まで意識したことはなかったが、 ヤマトの言う通り注意深く、龍脈の力とは違う何かを探る。 不思議と、これなのだと、分かった。 ヤマトの全身を包む力とは違い、俺の中にある力は外へと溢れているのが分かる。 訓練とはきっと、この力を内に留めることなんだろう。 具体的に何をどうするのかは分からないが、確かにこんな状態なら、 脅威と言われても仕方が無い。 繋がれていた手が離れ、ゆっくりと瞼を開く。 何度か瞬いて、先ほどまで繋がれていた手のひらに視線を落とした。 「感じ取れたようだな。今回は私が力を貸したが、  一度自らの力を認識したのだ、君ならばすぐにコツを掴むだろう。  この方法は誰にでも使えるものではない。  龍脈の力に耐えられるだけの霊力を保持する君だからこそ可能な方法だ。  並みの霊力ならば龍脈の力に触れた時点で意識を失っていただろう」 さりげなく怖ろしいことを言われた気がする。 結果的に何事も無かったので良しと思うことにして、深呼吸した。 「…世界が変わった気がする」 抱いた感想を声に出せば、喜ばしいことだとヤマトが歯を見せて笑った。 規則正しいノック音が部屋に響く。 迫です、という声が後に続き、ヤマトが許可の声を上げるとドアが開いた。 「例のものは用意してきたな」 「は。こちらに」 ヤマトに促されてマコトさんが俺に書類と小さな箱を差し出す。 「封印地のリストと護符だ。護符はここで付けていくといい」 俺が受け取ったのを確認して、ヤマトが声を掛けてくる。小さな箱を開けてみた。 中に入っていたのはシルバーのチェーンに何かの石が付いたアクセサリー。 「常に身に付ける必要があるのでな、アンクレットだが別の物が良ければ言ってくれ」 マコトさんが説明してくれる。護符と言っていたのでもっと怪しいものを想像していた。 成る程、足首なら靴下を履いてしまえば誰かに気付かれることもないし、 気付かれてもアクセサリーなら変に思われることはない。 俺は早速屈んで左足の靴と靴下を脱いで、そのアンクレットを付けてみた。 一瞬、妙な感じがして動きを止める。気のせいではなく、何かの力が働いたんだろうか。 それ以上は気にしない事にして、脱いでいた靴下と靴を履いて立ち上がった。 書類の方は持っていた鞄にしまう。 「それからこれは訓練の日程になる、都合が悪ければこの番号に連絡を。  私の携帯に繋がるようになっている。こちらも渡しておこう、君のIDカードだ」 続けてマコトさんに一枚の紙とカードを渡された。 カードの方には多分検査の時に撮られていたんだろう、自分の顔写真が入っていた。 礼を言って、それも鞄に入れたところでヤマトの声が聞こえた。 「さて、今日はご苦労だった。迫、後は任せる。では…」 ヤマトの言葉を合図にマコトさんが一礼してドアを開ける。 多分送ってくれるということだろう。 俺は少し迷ったあと、 「ヤマト、これからよろしく」 友達に向ける気軽さでそう言って手を振った。 マコトさんが驚いているのが分かる。ヤマトは少しだけ目を見開いた後、フッと笑った。 もう一度、マコトさんが驚いていた。 帰りは普通の乗用車だった。 マコトさんの運転で家の近くまで送ってもらう。 「今日は色々と、その、驚いただろう」 助手席に座る俺にマコトさんが声を掛けてきた。 「確かに色々驚きました。でも、必要なことだったので、マ…迫さんも気にしないで下さい」 気を抜くと『マコトさん』と呼びそうになるのを堪えて答えると、 そうか、とマコトさんは優しげに微笑む。 「…こちらも驚かされた。局長のあのような表情は初めて見たよ。  歳が近いからだろうか…局長が君には気を許されているように感じた。  能力が高いというだけではない何かが、君にはあるのだろうか。  局長は、孤独な方だ。私が口を挟むようなことではないが…  君のような人間が局長の傍に……いや、忘れてくれ」 頭を振ってマコトさんが言葉を切る。 まだ断言は出来ない、それでも。 「まだ知り合ったばかりですけど、これから長く付き合えればいいって思ってます」 そう本心を告げれば、マコトさんのありがとうという言葉が耳に届いた。 マコトさんは俺よりもずっと長くヤマトを傍で見てきている。 上司として尊敬しているのとは別に、1人の人間として、 ヤマトの事をずっと案じていたんだろうか。 普通の友達としては無理かもしれないけど、と心中で呟いて。 マコトさんの望みは既に自分の望みでもある。 やっぱり大学卒業後の進路はジプスかなと思いながら、俺はシートに身を沈めた。 自宅から少し離れた大通りで停車してもらい、マコトさんに礼を告げて車から降りる。 辺りはすっかり暗くなっていた。 家に戻れば母親の小言が待っているんだろうなと足取りが重くなる。 その時、携帯の着信音が鳴り響いた。鞄から取り出してディスプレイを確認する。 そこには見知らぬ番号が表示されていた。 もしかして。そんな期待と共に受話ボタンを押し、耳に携帯を当てる。 『…コウキか』 相手を確認する、その声は期待通りの人物で。 「今度はちゃんと話すんだな、ヤマト」 歩きながら、答えを返す。 『フ…また通話を切られては困る。帰宅したか?』 「あと少しで着くけど」 『そうか。1つ、伝え忘れたことがあったのでな』 「何?」 『番号が通知されただろう、登録しておけ。私個人が所有する携帯番号だ』 「…え」 立ち止まって聞き返す。 『私を知りたいのだろう。それとも不要だったか』 「っ、そんなことない。ありがとう、ヤマト」 そうだ、俺も聞くつもりで忘れてた。 ヤマトは俺の携帯番号をもう知っていたけど、俺はまだ知らなかった。 仕事用の携帯しか持っていなければ、今の俺では教えてもらえないかもしれない、 そんな風に思ってもいたので、ヤマトから教えてくれるとは思っていなくて。 『メールアドレスの方も送っておく。  電話の方には頻繁には出られんだろうが、その時はこちらから折り返す』 「わかった、俺もなるべくメールで済ますようにする」 『ああ。では、また…』 「ん、おやすみ、ヤマト」 最後に吐息のような笑みが耳を掠めて、通話は途絶えた。 暫く余韻に浸るように耳元に携帯を押し付けたまま目を閉じて。 その後、すぐに先程の番号を登録する。名前は『ヤマト』と入力した。 こんな出来事1つで心が軽くなる自分を可笑しく思いながらも、 俺は帰宅するために再び歩き出した。足取りは軽かった。 傷跡は残るだろうが、癒えない傷は無い。 心に刻まれた傷が、傷跡になるまであと少し。 END 密かにビンゴの顔射クリア。 こっちのルートでは、その後、クリスマスには折れるんじゃないかな。 プレゼント交換の話が出た時にストレートにヤマトに求められて。 待てをさせた分、酷い目にあいそうだけど。 ほら、ヤマト、若いもの…。