よりにもよって、あの志島大地相手に醜態を晒した。 その事実を苦く思いながらも、気分はそれ程悪くは無かった。 確かな収穫である携帯画面を見つめる。画面には5、6歳の子供の写真。 黒い髪、青い眼、快活な笑みを浮かべるその男児は、間違いなく宇内由希人、本人だった。 酷く愛らしいと感じるのは、それが自分の想い人であるユキトだからだろう。 今まで幼子に対し、こうした感情を抱いた事は無い。 そもそも自分以外の誰かに、特別な感情を抱くことなど無かった。 数枚の写真を飽きることなく見つめる。 こうして眺めていると、この頃の彼に出会ってみたかったとも思う。 だがそれは、ユキトによって変化したのだろう現在の自分だからこそ思うことであり、 たとえ過去に彼と出会っていたとしても、その時の自分は特に何も感じることは無かっただろう。 だからこそ、志島に対し羨む気持ちは皆無ではないが、過去は過去だと割り切れてもいた。 ユキトの一言が無ければ考えもしなかったが、志島との話し合い自体にも意義はあった。 志島は相変わらず自分に対し萎縮する傾向はあるが、出会った当初よりはマシになっている。 躊躇いながらも言葉にすべきことは言葉にする、 そんな姿はあのポラリスの試練の日々の終わり頃には表れていたと記憶している。 特にユキトに関する事では譲れぬものがあるらしく、一歩たりとも退こうとはしない。 その様を忌々しくも思うが、同時にユキトが志島を親友と呼び慕う理由も解る気がした。 時折見かけるユキトと志島が戯れる姿は、正直不快でしかなかったが、 今回志島の胸の内を聞いた事で、ユキトは勿論、志島の言も、 ある程度は信用してやってもいいと、そう思える余裕が自分の内に生まれた。 ユキトはきっと見越していたのだろう、最終的には私が折れる事を。 見透かされている事も、その相手がユキトであるかぎり『大した男だ』という感慨しか浮かばない。 そんな自分自身に苦笑を零すしかなかった。 シーツに散らばった柔らかな黒髪を指先に絡めとる。 先ほどまで甘い声を上げていたユキトは、今は瞼を閉じ静かに胸を上下させていた。 無理をさせたか、そう思いながら繋がりを解くと小さく彼の身体が跳ねた。 だが覚醒する兆しは無い。労るように細い腰をゆっくりと撫でてやる。 ユキトが本気で拒むことは殆ど無い為、つい欲のままに加減せず貪ってしまう。 これでは獣と変わらんなと自嘲するものの、改める気も無いのが我ながら可笑しかった。 避妊具を使用したので処理には手間取らない。 用意しておいたタオルで彼の身体を軽く拭ってやり、一糸纏わぬ身体に布団を掛けた。 自分はシャツはボタンを外しただけ、スラックスは前を寛げただけの状態だったので、 身繕いは直ぐに終わり、さてどうするかと考える。 事後の気だるさはあれど、まだ眠れそうにはない。 暫し黙考した後、ベッドの側に置いてある自分の携帯を手に取る。 眠るユキトの隣に脚を伸ばし上半身を起こした格好で座り、携帯を操作した。 画面に表示された子供の写真に目を細める。 隣で眠る彼の幼い姿には健全な感情しか抱かない、その事に内心胸を撫で下ろした。 志島はこちらから何も言わずとも週に1度、数枚の写真をメールに添付し送ってくる。 専用のフォルダに収納した写真はいつの間にか結構な量になっていた。 季節を感じさせるもの、喜怒哀楽、様々な彼の幼い頃の姿に自然と笑みを浮かべる。 携帯画面に見入っていると、隣で身動ぎする気配を感じて視線を動かす。 瞼を擦りながらユキトがゆっくりと身体を起こしていた。 掛け布団が肩から滑り落ち、彼の裸身が露わになる。 情事の痕を色濃く残したその身体は実に目に毒だ。 当の本人はそんな自分の姿に構いもせず何度か瞬いた後、こちらに視線を向けた。 「気付いたのか」 「……あー…おれ、落ちてた?」 「そのまま眠って構わんぞ」 「んー、うん」 まだ覚醒しきっていない様子のユキトに小さく笑みが零れる。 こんな遣り取りも既に日常となっている。 夢現のユキトにベッドの下へと落としていた服を拾って手渡してやると、 素肌を晒していた事にやっと気付いたのか、素直に受け取り身に着け始めた。 「…そういえば、ヤマト。最近良く携帯見てるよな」 下着を穿きシャツを羽織った所で、ユキトがそう問い掛けてきた。 「ああ…志島が興味深いものを寄越してきたのでな」 「ダイチが?」 隠すつもりは毛頭無く有りの儘を告げると、ユキトが意外そうに目を瞠る。 興味深げに私の携帯を見つめる彼に、それを差し出してやった。 ユキトは受け取った携帯の画面を目にすると、再び目を見開く。 「……最近、ダイチと結構仲良いなと思ってたけど、こういう取引があったわけだ」 自分の昔の写真だと気付いたらしい、ユキトは顔を上げ微妙な表情を見せる。 口角を上げながら私は口を開いた。 「否定はしない。このことばかりが奴を受け入れた要因では無いがな」 「まぁ、仲良くしてくれるんなら別にいいけど。 ヤマトがこういうのに興味があるとは思わなかった。 言ってくれれば見せるのに。話とかもダイチから聞いたりしてる?」 「いや、奴の主観で語られる君の過去に興味は無い。 その辺りは志島も弁えているようだな、相手の顔色を窺うばかりかと思っていたが、 そうした点は評価してやってもいい。 君の過去については、いずれ君の口から聞きたいと思っていたよ。 その事に気付いたのは、奴が君の写真を寄越した時だが。 実際に幼き頃の君の写真を目にしなければ、別段過去に興味など無かっただろう。 データとして調べられる範囲は調べ終えていたからな。 だが、不思議なものだが、今は君の過去を…データとしてではなく、 君が何を思い生きてきたのかを、君の言葉で知りたいと思っている」 彼の写真を眺めるようになって芽生えた想いをそのまま伝える。 ユキトは黙って私が話し終えるのを待ち、そっか、と呟く。 「良いよ、ヤマトが聞きたいなら。その代わりってわけでもないけど、 俺もヤマトの小さい頃の写真とか、見てみたいな」 ユキトが微笑みながら強請ってきた内容に、口元に手を当てて考え込んだ。 「京都の生家に記録として数枚残っているかもしれんが、君のように多くは無いだろう。 外部に持ち出すことはできんが、君を家に招待する事は可能だ、それでもよければ。 …そうだな、そろそろ頃合いかもしれん。一族の者に正式に君を紹介しようと考えていた」 丁度良い機会だと思い立ち、ユキトにそう告げた。 「紹介……って、どう紹介するんだ?ヤマトの補佐として?」 ユキトは眉を顰めてそんな風に聞いてくる。 こちらの意図は読めているだろうに、彼の悪い癖だと1つ吐息を零して正しい答えを示してやる。 「無論、我が伴侶として。呼び方はパートナー、でも構わんが」 伴侶、とユキトは復唱し、言葉に詰まったように黙り込む。心成し頬が赤らんでいる。 不服かと問えば、緩く首を横に振って、ユキトは口籠りながらも伝えてきた。 「…改めてそう言われると複雑というか恥ずかしいというか…嫌じゃないけど。 わざわざ紹介するって事は、何か理由があるんだよな、それは聞いてもいい?」 確かに意味はあった。出来れば『峰津院』の面倒事に巻き込みたくは無かったが、 これから先、彼を手放す気が自分には無い以上、避けては通れぬ道だ。 そして今のユキトならば、問題は無いという確信もあった。名実共に私と並び立つ彼ならば。 私はユキトの眼を見つめて口を開いた。 「…実力至上主義を根底とする世界になり、今や血統は何の意味もなさない。 だが、峰津院の血に連なる者の中には霊力の高さゆえか、 ポラリスによる意識改革から逃れ、今も尚、血統に拘る連中も少なくない。 それ故、私の血を受け継ぐ子を求める声は止まず、煩わしくてな。 君を選んだと知れば、いい加減諦めもつくだろう。 よからぬ事を考え、君に危害を加えようとする者も出てくるかもしれんが、 私はそれを赦すつもりはないし、君自身そうした妨害に屈する程弱くは無いと信じている。 言ってしまえばごく個人的な理由だ。…分かってくれるか?」 そう、私はこんな下らない事にユキトを巻き込もうとしている。 以前の自分ならば口にもしなかっただろう。 共に生きるという意味を、価値を知らなかった過去の自分ならば。 ユキトは私の目前で柔らかく微笑んだ。それだけで彼の答えが伝わる。 「そうすることでヤマトの助けになれるんなら、喜んで」 ユキトが私の身体に寄り掛かり、甘えるように肩に頭を乗せてくる。 軟らかな髪の感触と彼の匂いを感じ、誘われるままにそこに唇を落とした。 「あ、でも、もしかして単純に孫の顔が見たいとか、 そういう意味だったら、ちょっと申し訳ないな…」 「……考えもしなかったが、峰津院の者に限ってそれは無いだろう」 「そういうもの?」 「ああ」 身体を寄せ合い、思い至ったように口にしたユキトの言葉に応じながら、ふと考えた。 子孫を残すことは義務でしかなく、本当の意味で子を欲したことは無い。 だが、もし彼が、或いは自分が孕める身体だったなら、願ったのかもしれないと。 詮無い思考だ。自嘲するように目を伏せ薄く笑うと、彼の声が耳に届いた。 「子供か…俺が女の子だったら、さくっとヤマトの子供産んでそうだな」 「…そうなのか?」 「うん。それもヤマト似の子が出来るまで頑張りそう」 つい先程の自分と同じ様な事を考え口にするユキトに驚きながらも、 彼の楽しげな声につられて頬が緩んだ。 「私は君に似た子が良いが」 「俺が産むの前提?」 「君が言い出したのだろう?」 「そうだけどさ」 「だが、子に君を奪われそうだな。やはり私は現在の関係を好ましく思う」 冗談混じりに言葉を交わしながらも、最後には本心が滲み出てしまった。 腕を彼の肩に回し抱き寄せると、少しして、小さく笑う声が胸元から聞こえてきた。 「何だ」 「なんでもない。俺も、今の関係が好きだよ。 俺が女の子だったら、きっとお前の隣に立つことは出来なかっただろうし」 ユキトの言葉に、確かにと思う自分がいた。 彼が女であったなら、その力を認めたとしても、対等であることを望むことは無かっただろう。 彼の身体を抱きながらベッドにそのまま身体を横たえる。 掛け布団を手繰り寄せて互いの身体を包めば、腕の中のユキトは身体から力を抜いて目を閉じた。 同じように目を閉じて、思いを巡らせる。 幼き頃の写真の話題から、妙な方向に話が進んだものだ。 だが、また1つ、彼との距離が縮まったようにも感じる。 いつの日か、彼が親友と呼ぶ男のことを、気にせず受け止められる日も来るだろう。 まだ当分の間は、複雑な感情に苛まれるだろうが。 『本当に、我ながらどうかしているな』 それでも彼によって齎される感情は悪くない。 そう結論付けて、ユキトの温もりを抱いて緩やかに意識を手放した。 END まるく収まりました。