落ちた白手袋の行方





上質なソファーに腰を下ろして、俺、志島大地はかつて無いほど緊張していた。 目の前には同じくソファーに腰掛け、腕を組んで俺を睨む峰津院大和の姿がある。 時刻はもうすぐ夜の11時。思えばヤマトと一対一で話すことなど今まで一度も無かった。 びびってどうする!と自分を叱咤して俺は今や日本のトップとも呼べる男と向き合った。 今から1時間程前、俺の携帯に1通のメールが届いた。 『迎えを寄越す、東京支局まで来い』 ヤマトからのメールだった。 こちらの都合などお構いなし、決定事項だけを告げる文面だったが、 俺はヤマトらしいなと思うだけで、文句は出てこなかった。 明日は大学の講義は昼からなので特に問題は無かったし、 そもそも多忙なヤマトが理由はともかく、俺と話す為に時間を割いたのが分かっているからだ。 大阪本局にいるはずのヤマトが東京支局まで出向いてきた、その事実だけでも充分驚いている。 これも俺の親友である宇内由希人に関わることだからなのか。 俺としては、あの運命の夜以降、色々と内心複雑だった。 ヤマトは俺に対して不満があるみたいだが、俺の方こそ言いたいことは山ほどある。 ユキトの言葉通りいい機会なのかもしれない、そんなことを考えながら、 俺はヤマトにわかったと了承のメールを打って、手早く出掛ける準備を済ませた。 家を出るとメールにあった通り迎えが来ていた。 黒塗りのいかにもアレな車に腰が引けつつ素早く乗り込む。 車は静かに動き出し、そう時間はかからずに東京支局に到着した。 そこから案内されて辿り着いた場所はヤマトの私室、だった。 初めて入ることに緊張しつつ足を踏み入れると、入るなり、さっさと座れと声が掛けられた。 執務机の前にいたヤマトが俺を見据え、ソファーを指している。 言われるままに俺が向かい合わせのソファーの片方に座ると、ヤマトも俺と対面するように座った。 そして現在に至る。 俺は膝の上で手を組み合わせて考えた。 いざ考えてみると、何から話せばいいか分からない。 こうなった原因は分かっているが、そもそも俺の言葉をヤマトは信じない。 『ほんと、どうすんだよ』 俺に言える事は今まで通りユキトとは親友で、それ以上でも以下でもない、という事だけだ。 正面に座るヤマトを改めて見る。相変わらずの貫禄、これで自分よりも1つ年下だなんて思えない。 人間皆平等なんて夢物語だよなぁと現実逃避にそんなことを考えていると、 あからさまな溜息が俺の耳に届いた。思わず呟いてしまう。 「…溜息吐きたいのはこっちだっつーの」 「何か言ったか、志島」 「ナンデモアリマセン」 「フン…これ以上、時間を浪費するのは本意ではない。まずはお前の言い分を聞いてやろう」 俺の何気ない呟きで沈黙は破られた。ヤマトの雰囲気が僅かに和らぐ。 相変わらず偉そうな(実際偉いのだが)言い方だったが、 ヤマトのそういった部分には流石に俺も慣れてきた。 気合を入れるために背筋を伸ばして、俺は口を開いた。 「何回も言うけど、俺とユキトは親友だ。ユキトの言う事は信じてるんだろ?  じゃあそれでいーじゃん。だいたい俺は女の子が好きなんだから、ユキト相手にありえねーっての!」 俺の言葉にヤマトは眉を寄せ、言ってくる。 「ユキトも異性愛者だった筈だが、私を選んだ。  お前の主張は、彼に対し絶対に懸想しないという理由にはならんだろう」 脱力した。それを言い出したらきりがない。 しかしヤマトは本気で心配しているんだろうか、俺とユキトの関係を。 俺もユキトも何も無いとこれだけ言っているのに。 ヤマトの言葉からは、単に俺が気に入らないというだけではない切実さが感じられた。 ふと、ヤマトの表情を注意深く見てみると、今まで見たことの無い顔をしていた。 そういえば、ヤマトとこういう、いつものヤマトならくだらないと言いそうな話をするのは初めてだ。 今、俺の目の前にいるヤマトは、普段の自信に満ちた姿ではなかった。 どこか余裕の無い姿、ジプスの局長としての姿ではなく、1人の、俺より1つ年下のただの男、だった。 『ああ、そっか。そういうことか』 浮かんだ答えに俺はヤマトに気付かれないようにひっそり心の中で笑った。 勝手に親近感を抱いてしまった。あのヤマト相手に、だ。 俺とユキトは長い付き合いで、幼馴染で、親友だ。特別で、大事な存在だ。 きっとヤマトにとってのユキトもそんな存在になっているんだろう、過ごした月日は短くても。 緊張で強張っていた身体の力がすっと抜けた。顔が弛むのが自分で分かる。 「……何だ」 ヤマトが眉を顰めて俺を睨んできたが、もう怖くは無かった。 俺は燻っていた自分の気持ちを、吐き出すことにした。情けないのは承知の上だ。 「…ヤマト、俺の方がずっと、悔しいんだぜ」 「なんだと?」 「だってそうだろ?ユキトは俺の親友で、アイツの事、全部分かってるって、そう思ってた。  お前らともめたあの夜だって、ユキトなら何も言わなくても来てくれるって信じてた。  でもさ、アイツはお前を、ヤマトを選んだんだ。俺は初めっから気付いてた。  アイツは主義とか主張とか、そんな堅苦しいもんで選んだんじゃないって、  お前のことが気に入ったから、お前の手を取ったんだって。  会って一週間にもならないのに、ユキトはヤマトを選んだんだ。  それが分かった時、すっげー悔しかったよ」 「………」 ヤマトは俺の話を黙って聞いている。 眉間に寄せられた皺はそのままだが、その表情は少しだけ和らいで見えた。 俺は勢いのまま続けた。 「でもさ、やっぱりそっち行くのか、とも思っちゃったんだよね。  あの日、列車事故に巻き込まれて、悪魔に会って、セプテントリオンとか化け物が出てきて、  俺はすげー怖かった。びびってた。いつだって逃げたかった。  なのにアイツは誰よりも落ち着いてた。それだけじゃなくて、ちょっと楽しそうにも見えた。  あんなユキトの顔、初めて見た。全然知らない顔だったんだ。  当然だよな、今までの人生でこんな、死ぬか生きるかなんてことなかったんだから。  それでも流石ユキトだって、すげー頼もしかった。  ユキトと一緒なら平気だって思えて、そういう奴が俺の親友なんだって。  そう思いながら、不安も感じてた。アイツ、いつの間にかヤマトと仲良くなってるし、  なんかさ、ヤマトと一緒にいる時のユキトが遠いっていうか。  俺が知らなかっただけで、本当はこっちが本来のユキトの姿なんじゃないかって、思った。  勿論、ムリして俺と一緒にいたわけじゃないって、そこは信じてる。  アイツ自身も多分気付いてなかったんじゃないかな、ヤマトみたいな人間、滅多にいねーし。  ヤマトが本来のアイツを引き出したのかもしれない。今のユキト、生き生きしてるからさ。  だから、悔しいけど仕方ねーなって思った。俺とユキトが親友だって事は変わりないんだし、  親友に恋人が出来たってことなんだから、俺が認めねーでどうすんだって話だよな。  ……まぁ、その相手がヤマトってのは、やっぱりビックリしたけどさ」 言いたい事を言い切って、俺はふーっと長く息を吐いた。 ヤマトが口を挟むことは一度も無かった。 俺が話し終えた事に気付いたのか、ヤマトがゆっくりと口を開く。 「……ユキトは私との関係を、お前には隠さず話しているようだな。どこまで聞いている?」 「どこまで……って、……そこまで詳しくは聞いてねーけど、  ……男女間でやるようなことは一通りやってるって聞いた」 ヤマトからの問い掛けに、自分のことでは無いのに顔が熱くなる。 そう、知りたくなかったが、ヤマトからのキスに始まり、初体験の報告もユキトから受けている。 本当に報告だけだ。俺はいつもユキトの話を途中で遮っている。 ユキトの相手が普通に女の子だったなら色々聞いたかもしれないが、 相手がヤマトで、男で、しかもユキトが受け身だと知ってしまうと聞けなかった。 俺がユキトをそういう対象として見る事は無くても、やはり気恥ずかしい話だった。 ユキト自身は俺に対しては話すことに抵抗が無いようで、惚気たくて仕方が無いみたいだが。 俺の返答にヤマトがまた難しい顔をする。そうか、と相槌を打ち、黙り込んだ。 その沈黙が怖い。暫く考え込んだ後、ヤマトが再び口を開く。 「ユキトは、私との関係を口外する気は無いと言っている。その事は別段気にしていない。  確かに言い触らすような事では無いからな。だが、ユキトはお前には話した。  なるほど、お前はそれだけユキトから信頼されているという事なのだな。  現在でもユキトは私に話さぬような事を貴様には話すのだろう。  貴様といる時のユキトは私の知らぬ顔をする。気心の知れた相手ということか…  ああ、やはり貴様は邪魔だ。親友だからといい気になるなよ志島…!!」 「ちょ、ちょっと待てって!落ち着けってヤマト!!」 激昂して立ち上がるヤマトを俺も立ち上がって、慌てて宥めようとする。 お前呼びからいつの間にか貴様呼びに変わり、殺気まで叩きつけてくるヤマトに正直腰が抜けかけた。 それでも、ヤマトの俺に対する気持ちがハッキリ分かってしまったので、それ程怖くは無かった。 要するに、ヤマトは俺に嫉妬しているんだと。 俺の情けない告白も、何故かヤマトの嫉妬を煽る結果になってしまったのだと。 深呼吸して、俺はヤマトと向き合う。 「俺だって同じなんだよっ!お前といる時のユキトは俺が知らない顔してる、  俺が知らない顔をお前には見せてるんだって思うと悔しいけど、  でも、そんなの仕方ねーだろ?お前、頭いいのに、そんなことも分かんないのかよっ!」 「何…!?」 「俺はアイツの親友だけど、ヤマトはアイツの恋人なんだろっ!態度違って当然じゃん!!」 「――――っ」 俺の言葉が届いたのか、ヤマトが息を詰めた。眉間に深い皺を刻んで唇を噛み締めている。 そういえば、と思い出す。ユキトが言っていた、ヤマトには今まで友達などいなかったのだと。 確かにヤマトは人を寄せ付けない雰囲気を持っている。 友達とか恋人とか、普通に生きていれば当然の人間関係が、ヤマトには無かったのかもしれない。 『どうりで拗れるわけだよなぁ…』 ヤマトにとってユキトは、そうした人間関係を築いても良いと思えた初めての相手で、 ユキト1人に全てを求めようとするから、こんなことになっているんだろう。 「…では、ユキトが貴様に向ける表情を、私に対して向ける事は無いという事か」 ぽつりと呟くようなヤマトの声が耳に届いて、俺は瞬いた。 気落ちしたというような、今まで聞いたことの無い声色に、俺は思わず小さく噴き出してしまった。 じとりとヤマトが睨んでくる。ユキトも厄介な相手に惚れられたもんだなと思ってしまう。 「分かんねーけど、ヤマトは可能性あるんじゃないか?  時間が経てば、男同士だしユキトもお前に対してもっと気安くなると思うけど。  俺の場合は、親友以上には絶対ならないから、ユキトがお前に見せる顔を、  俺が直接見ることは無いだろーけどな!」 だから俺はヤマトにそんな風に言ってやった。難しい顔をしながら、 そういうものなのかと小さく零したヤマトは、少しだけ機嫌が良くなったように見える。 多分、俺が見ることの無い顔をヤマトだけは知っている、という事実が効いたんだろう。 低いテーブルを挟んで、お互い立ったまま向き合って、何をしているんだとおかしくなった。 ヤマトがふ、と息を短く吐いて再びソファーに腰を落としたのを見届けて、俺も座った。 「……お前に諭されるとはな。まったく、忌々しいものだ」 ソファーに深く身体を預けたヤマトが吐き捨てた言葉自体はキツいものだったが、 その声音はどこか柔らかく感じた。どうやら俺の気持ちが、多少は伝わったらしい。 どっと疲れが押し寄せてきて、ヤマトと同じようにソファーに沈む。 とりあえず、今日の所はこれで良しとしよう。 気安く友達と呼べる関係になるには、まだまだ時間がかかりそうだが、 俺はこの不器用な男と友達になりたいと思った。 ユキトがヤマトに構う理由もなんとなくわかった。 『確かに、ほっとけねーよな』 一度目を閉じて、そこでここに来る前に準備してきた事を思い出して、俺は携帯を手に取った。 ユキトの許可は取っていないが、別に変なものではないし相手がヤマトなので問題は無いだろう、 携帯のフォルダから写真を数点選んで、俺はそれをヤマト宛のメールに添付して、送信ボタンを押した。 すぐに着信を知らせる音が部屋に響いた。 ヤマトはコートから自分の携帯を取り出して画面を確認する。 「…何だ、これは」 「いいから見てみろって」 訝しげに俺に視線を寄越してきたヤマトを促すと、ヤマトは再び画面を見つめながら携帯を操作した。 「!これは…っ」 添付した写真を目にしたんだろう、ヤマトが驚いたような声を上げている。 俺が添付したのはユキトの写真だ。それも、小さな頃の。 持っている写真は殆どが俺と2人で写っているものだったので、 携帯でユキトだけ写したものを数枚用意してみたのだ。 「話を聞いたことはあっても、そういう写真は見たことないだろうなって思ってさ。  子供の頃の写真なんか持ち歩かないもんな」 携帯を食い入るように見つめるヤマトに俺はそう声を掛けた。 ユキトが大阪に移ることになって、俺はユキトの家の管理を任されている。 お互い家族は消息不明のままで、家も半壊状態だったが、 家の方はジプスが手を回してくれたお陰で補修された。 ユキトは必要最低限のものだけ持って東京を出たので、 アルバムの類は家にそのまま残っているだろう。 ユキトがヤマトに自分の子供の頃の話をするとはあまり思えない。 それこそ何か切っ掛けが無い限り。ヤマトも多分聞こうとはしないだろうと思う。 でも、俺とユキトの関係を羨むぐらいだから、 ユキトのことは何でも知りたいんじゃないかとも思ったのだ。 場合によってはまた敵意を向けられるかもしれなかったが、この作戦は成功したようだ。 「話は俺からは聞きたくないだろうから、本人に直接聞けばいいだろ。  ま、写真もお前が言えば断らないと思うけど。  別にさ、俺とユキト、長い付き合いだって言っても、お前に隠すようなことは何も無いって。  だから、なんつーか、もうちょっと仲良くやってこーぜ、ヤマト」 そう言った俺の顔と携帯の画面とを交互に見た後、ヤマトは皮肉気に口元を歪めた。 「…フン、仕方あるまい。お前がそこまで言うならば、一考してやらんこともない」 返ってきたヤマトの言葉は、多分、最大限の譲歩だった。 こうして、俺とヤマトの話し合いは幕を閉じた。 後日。 「こんなことも解らんとは、やはり志島は志島か」 「だから苦手だって初めに言ってんじゃん!」 「別の課題でもその言葉を聞いたが?」 「うっ」 「いいから手を動かせ。それはここを参照しろ」 「あ、そっか」 ヤマトは呆れながらも、的確に答えへと導いてくれる。 おかげで俺は順調に大学で出た課題を進めることが出来た。 昔はユキトにも良く泣きついたが、教え方はヤマトの方が上かもしれない。 「ヤマト、ただいま……って、ダイチ?」 「ああ、戻ったか、ユキト」 「おっ、ユキトお疲れ〜」 第三者の声に顔を上げると、ユキトが部屋のドアを潜った所だった。 ここはヤマトの私室で、俺がいることにユキトは驚いているようだ。 俺自身もまだ現実味が無かったが、ヤマトに睨まれる前にと再び課題に目を落とした。 「……もしかして、ヤマトがダイチに勉強教えてあげてるのか?」 「フン…君の手を煩わせるよりは良いと判断したまでのこと。  さて、そろそろ行くが、志島、次に私が戻るまでにその課題を片付けておけよ」 「おっ、鬼…!!」 「どうとでも言え。ユキト、君はどうする?」 「俺もちょっと休んだら司令室に顔出すよ」 「わかった、ではな」 悠然と立ち去るヤマトの背中を恨みがましく見た後、俺は深い溜息を吐いた。 仕方が無い、ヤマトに泣きついたのは俺だ。大人しくペンを握りなおす。 ユキトが傍まで来て喉の奥で笑っていた。 「話し合い、効果あったんだな」 ユキトの言葉に一応な、と頷く。 「ホントはお前に聞くつもりだったけど、なんか、ぽろっとヤマトに課題のこと話しちゃって、  そしたらこっち来いって言われてさー。思ってた通り厳しーけど、教えんの上手いよヤマト。  何とか今日中に終わりそうだ」 「へぇ…ダイチが真面目に勉強してるのって意外だな」 「やっぱそー思う?なんか、ユキトの親友を名乗るなら少しは利口になれ、とか言われてさぁ。  まっ、勉強すんのは自分の為でもあるし、ヤマトのこと見返してやりたいとかさ。  色々考えて、ちょっと本気出してみよっかなーって思ったわけ!」 「…2人が仲良くなったのは嬉しいけど、  俺の知らない何かが2人の間に芽生えたみたいで、ちょっと複雑だな」 「なんだよそれ!」 からかってくるユキトに笑いながら答える。 実際にヤマトとは取り引きのようなものがあったが、まだ黙っておくことにする。 写真のことは、そのうちヤマトの方からユキトに直接話すだろう。 「それじゃ、邪魔しても悪いし俺もそろそろ行くよ」 「おー、今度は遊びに来るから!」 軽く手を振ってユキトもヤマトと同じように部屋を出て行った。 さて、と軽く背伸びをして、課題と向き合う。 ユキトもヤマトも仕事で忙しそうだし、3人で遊びに行くということは出来そうにないが、 いつかそれが叶うといい、そんな事を考えながら、 俺は目の前の課題を片付けるべく、頭と手を動かし始めた。 END 和解成立。次はヤマト視点でユキトとの話を。