健やかな関係に別れを告げて<1>





高校卒業後ジプスで働くようになって早数ヶ月。 季節は冬、世間はクリスマスで賑わっていた。 響希にとってクリスマスと言えば、昨年までは大地と祝うものだった。 思えば家族でクリスマスを祝った記憶が無い。 幼い頃はあったのかもしれないが、少なくともここ数年は家では何もしなかった。 昨年のクリスマスは維緒が加わって3人で喫茶店に集まり、 プレゼント交換をしたりケーキを食べたりした。 今年も大地にいつも通り誘われていたのだが、残念ながら断ることになった。 悪魔は人間の都合などお構い無しに現れる。 クリスマスイブである今日も支局で待機命令が出ていたからだ。 ジプスの存在が機密である以上、響希は大地に就職先の詳細は話せない。 具体的な事は言えず、ただ仕事で忙しいと伝えるしかない響希は大地に申し訳なく思う。 そういえばお互い休日が合わず、大地とも暫く会っていなかった。 大地と維緒は同じ大学生同士ということもあり、頻繁に会っているようだ。 少し羨ましい気持ちもあるが、それでも響希は自分の選択を後悔してはいなかった。 家を出てジプス官舎で生活するようになって、 多少の不便はあるものの両親の束縛から逃れることが出来たし、 何よりも多忙な大和と顔を合わせる機会はずっと増えたからだ。 そう、本当は夜なら短い時間だが大地達と会うことも出来た。 響希があえて親友の誘いを断ったのには他にも理由があった。 友達として、大和とクリスマスを祝ってみたかったのだ。 大和と出会ったその年のクリスマスはまだ響希は一般人であったし、 大和もこの時期は忙しそうにしていたので、誘うことは出来なかった。 だから今年こそは、という思いが響希の中にはあった。 そう思っていたが、結局事前に約束をすることは出来なかった。 大和は政府主催のクリスマスパーティーに出席することが決まっていたし、 響希も通常通り、ジプスでの仕事があったからだ。 パーティーと言えども所詮はクズ共のくだらん腹の探り合いの場だ、そう吐き捨てながらも、 これも務めのうちと苦く笑っていた大和に、響希は言い出せなかった。 いつ終わるのかは分からないが、支局に戻る頃にはきっと大和は疲れているだろう。 そんな大和を自分の気持ちだけでつきあわせるのは申し訳なかった。 それに、友達である大地を誘うような気軽さで大和を誘うことも出来なかった。 どうしてか大和には気恥ずかしさを感じてしまって。 大和は友達だ。その認識は一方通行のものではない筈だ。 大地と接する時のように、もっと気安く接してもいいと思うのに、 何故か大和の傍にいるのは緊張した、緊張するのに傍にいたいという気持ちもある。 その緊張は、初めのうちは今は失われた7日間の関係性故だと思っていたが、 近頃はそのせいばかりでは無いと響希は思っている。 では何故なのか、その答えはまだ分かっていなかった。 夕方に報告が入った悪魔の討伐任務が終わって、支局の自分の部屋に戻ってくる。 時刻は夜の9時を過ぎていた。 今日の仕事はとりあえず終わった。 響希はベッドに腰を下ろして携帯を眺めた後、部屋にある小さな冷蔵庫を見つめる。 冷蔵庫の中には、支局へ戻る前に買った2人分のブッシュドノエルが入っている。 大和が戻ってきたらケーキだけでも一緒に食べることが出来ないだろうか、 そんなことを考えて、気付けば2人分のケーキを買ってしまっていた。 小さいものを選んだので、最悪1人でも食べてしまえるだろう。 響希は自嘲気味に小さく笑った。どうも自分は色々と考えすぎてしまう傾向がある。 散々悩んだ後、響希は携帯を手にとって操作する。 大和は呆れるだろうか、馬鹿だなと笑うだろうか。 『一緒にケーキ食べよう。日付が変わるまで待ってる』 そう文字を打って、再び迷う前に大和へとメールを送信した。 ベッドに仰向けに倒れて天井を見つめる。 大和からどんな返事が来るのか、少し不安で少し楽しみだった。 目を閉じて待っていると、すぐに着信音が耳に届いた。 携帯画面を確認して、響希は自分の顔が綻ぶのが分かった。 『先に言え。私の部屋で待っていろ』 簡潔な、大和らしい言葉。大和は少なくとも響希に対して自分を押し殺すことは無い。 嫌ならばはっきり拒絶するし、不快でなければちゃんと受け入れてくれる。 響希は冷蔵庫からケーキの入った箱を取り出し、携帯を持って大和の私室に向かうことにした。 大和の私室のロックを響希は自分のIDカードで解除する。 大和が不在の時でも部屋に入れるように、響希のIDカードは登録されていた。 この事から大和がどれだけ響希を信頼してくれているのかが分かるような気がする。 この部屋で2人で過ごすことも増えた。 慣れた室内を歩いて冷蔵庫に持ってきたケーキの箱を入れた後、ソファーに腰掛けた。 携帯を開くといつの間にかメールが届いていた。写真も添付されている。 大地からだった。仕事と伝えているのでメールを送ってくれたんだろう。 件名にはメリークリスマス!と書かれていて、添付された写真には大地と維緒が写っていた。 クリスマスケーキを前にサンタ帽を被った2人は楽しそうに笑っている。 響希もそんな写真を見て笑顔になる。 本文には、年末が無理でも年始には会えるといいなと書かれていた。 響希は短縮ボタンを押して、携帯を耳に当てた。 数回のコールの後繋がる。どこかの店だろうか、賑やかな様子が伝わってきた。 「ダイチ、メリークリスマス。メールありがとう」 『おーメリークリスマス!んでお疲れ〜!社会人は大変そーだなぁ』 「まぁね。ダイチは大学生活満喫してるみたいだけど、ちゃんと勉強もしないと卒業できないよ」 『うっ、相変わらず容赦ねぇ…あ、新田さんに代わるからちょっと待ってろよ!』 「分かった」 『―――ヒビキくん?あの、お疲れさま、メリークリスマス』 「メリークリスマス。行けなくてごめんね」 『ううん、少し残念だけど、お仕事なら仕方ないよ』 「うん、俺も残念だよ。年内は難しいかもしれないけど、年始には会いたいな」 『ふふ、ヒビキくんと会うの楽しみにしてるね。それじゃ、志島くんと代わるね』 「またね、新田さん」 『―――ヒビキ!新田しゃんと2人で何話してたんだよ〜!!』 「心配しなくていいよダイチ、仲間はずれにはしないから。年始に会おうって言っただけだって」 『本当だな!?』 「本当だって!」 『それならいーけど…やっぱ年内は無理そう?』 「多分ね」 『そっかー、そんじゃ、またメールする』 「俺もメールするよ、じゃあまたね、ダイチ」 『おぅ!あんま無理すんなよヒビキ!』 変わらない様子の2人と会話を楽しんだ後、響希は携帯での通話を終えた。 いつか2人に大和を紹介できるといいな、そんな風に響希は思う。 きっと普通に出会えたら、大和は俺だけでなく2人とも仲良く出来るはずだと。 問題は大和自身が、俺以外の人間に心を許す気が無いということだが。 大和は相変わらず他人に厳しい。勿論自分自身にも厳しいし言っていることは響希にも理解は出来る。 ただ、あの7日間に感じていたよりは、少しだけ柔らかくなっているように思える。 響希が大和の隣にいることで、そうした変化が生まれたのだとしたら嬉しい。 「…まだ時間かかるのかな」 ぽつりと呟く声は静まり返った室内に思いのほか響いた。 プレゼントの用意は出来なかった。考えてはみたが、大和が喜びそうなものが思い浮かばなかったからだ。 「たこ焼きは好きみたいだけど、クリスマスにたこ焼きっていうのもなぁ…」 それぐらいしか思い当たるものが無い。 趣味も知らない、というより趣味というものも無いみたいだ。 典型的な仕事人間、それが響希が大和に抱く印象だ。 結局考えたところで答えは出なかったので、直接聞いてみようという結論に至ったのだった。 響希は時間を確認する。いつの間にか1時間程経っていて、10時になろうとしていた。 ソファーから立ち上がって本棚の方へ歩いていく。 大和からは自由に読んで構わないと言われている。 響希はその中から適当に一冊抜き取って再びソファーに戻った。 大和の部屋の本棚は専門書の類が多く、どれも難解なものばかりだったが、 時間を潰すのには丁度いいし勉強にもなる、ゆったりとソファーに腰掛けて響希は書物に目を落とした。 ドアが開く音に響希は顔を上げた。 部屋の入口へと視線を向けるとそこには待っていた人物の姿があった。 「ヤマト、お帰り」 読んでいた本を閉じてテーブルの上に置き、立ち上がって部屋の主を出迎える。 大和は目元を和らげて響希に頷き、コートを脱ぎながら響希のいるソファーへと近付く。 ソファーの背凭れに脱いだコートを掛けて手袋も外し、深く息を吐き出しながらソファーに腰を下ろした。 「お疲れさま。……もしかして、途中で抜けてきた…?」 疲れた様子の大和に訊ねると、大和は口端を上げてふ、と笑う。 「言っただろう、くだらん集まりだと。私にとってお前と過ごす時間の方が、優先度は高い」 ネクタイを緩めながら大和はさらりとそんな事を口にした。それは響希の問いを肯定する言葉だ。 響希は嬉しさと恥ずかしさの入り混じったような気分になって小さく笑みを零す。 大和の言動は同性の友達に向けてというよりも、 異性の恋人に向けているかのようだと思ってしまい、響希は慌てて頭を振った。 そんな響希に大和が思い出したように問い掛けてきた。 「ヒビキ、今日は予定があったのではないのか?」 「え?」 「世間ではクリスマスの前日は、親しい友人や恋人、家族と過ごすのだろう?  家族とは不仲のようだが、お前は志島達と過ごすのだと思っていた」 大和が世間一般のクリスマスの過ごし方を知っていたことに驚きつつも、響希は笑って答えた。 「そうだね、だから今年はヤマトと過ごしたかったんだ」 「私と?」 意外そうな声を上げる大和に響希は少しだけ切なく思いながら続ける。 「去年はダイチと新田さん、3人で集まったけど、本当はヤマトも呼びたかった。  でもそれは無理だって解ってるから、せめて2人で過ごせたらいいなって思ったんだ。  折角友達になったんだからさ。友達同士でクリスマスを祝うのって楽しいよ。  …美味しいもの食べて騒ぐだけ、だけどね」 響希の言葉に大和はそうかと目を細めて頷いた。 「クリスマスなど煩わしい行事でしか無かったが、こうしてお前と過ごせるならば、悪くないな」 そしてまた口説き文句のような事を言う大和に今度こそ響希は顔が赤くなるのを感じた。 疲れている大和には座って待つように告げて、響希はケーキと紅茶を用意した。 「ここのケーキ、甘さ控えめだから食べやすいと思うけど、  パーティーで何か食べてきたんなら無理して食べなくていいから。  一口だけでも食べてもらえると嬉しいけど」 大和の前にケーキの乗った皿と紅茶のカップを置いて言葉を掛けた響希に、 「いや、パーティーで口にしたのは水だけだ、ありがたく頂こう」 大和はそう返してきた。 「何も食べなかったの?」 「あのような場で出された食事に手を付ける事は殆ど無いな」 「そうなんだ…」 何か色々と理由がありそうだと思いつつ、 響希は自分の分のケーキと紅茶もテーブルに置いて、大和の向かいに座った。 「どうぞ」 「ああ」 大和に勧めた後、響希はフォークを手にとって一口ケーキを口に含んだ。 上品な甘さが口内に広がり自然と表情が弛む。 響希はどちらかと言えば和菓子の方が好きだったが、 基本的に甘いものが好きな為か、ケーキも時々食べたくなる。 今日は夕食もチキンは食べたが控えめに取ったので、ケーキの糖分が身体に染み渡るようだった。 「…お前は、本当に美味そうに食べるな」 「……ヤマトも見てないで食べなよ」 大和に指摘され頬が熱くなり、響希は小さく唸る。 不満気に促せば、大和は素直にフォークでケーキを一口大に切った後、口に運んだ。 大和の喉が動くのを待って、どう?と聞いてみる。 「悪くは無い」 「良かった」 たこ焼きを食べている時ほどではないが満足そうな大和の様子にほっとしながら、 響希は残りのケーキを口に放り込んだ。 お互いにケーキを食べ終えて、優雅に紅茶を飲む大和を眺めながら響希は聞いてみた。 「ヤマト、何か欲しいものある?」 「…何の話だ」 「プレゼント交換っていうのもクリスマスにやることなんだ」 「では、私もお前が望むものを贈る、ということか?」 「俺はもう望み、叶えて貰ったからいいよ。こうして忙しいヤマトの時間、貰ってる」 「フ…欲の無い男だな、お前は。それならば私も同じだ」 「俺が何かあげたいんだ。今日は無理だけど言ってくれたら明日にでも用意する。  俺に出来る事、でもいいけど」 響希が食い下がると、大和はふむと顎に手を当てて何かを考えるように視線を落とす。 ふと気付いたように視線を上げて、大和は響希に手を伸ばした。 「動くな、ヒビキ」 「え」 つい、と大和の指先が響希の口元に触れる。 すぐに離れたその指先には先ほどのケーキのクリームが付着していた。 大和はごく自然な流れでその指先を自らの口元に持っていき、小さく舌をだして舐め取る。 大和の一連の動作を見守って、響希はとんでもないものを見てしまった気がして咄嗟に俯いた。 口元を手の甲で拭う。顔が熱い。僅かな静寂の後、ヒビキ、と大和が名を呼んだ。 「お前に伝えておきたいことがある。その上で、私の望みを告げよう」 伝えておきたいこと、そう復唱して響希は顔を上げて大和を見つめた。 そうだ、と口にした後大和はソファーの背に凭れて身体の力を抜き、目を閉じた。 「ヒビキ、私はお前に確かな情を、抱いている」 静かに語り始める大和の声を響希は少しだけ緊張しながら聞いた。 「情など不要だと感じていた私が、知識でしか知りえなかったその感情を抱くなど笑い話のようだがな。  だが、だからこそ解せん事がある。私がお前に抱く情は、どうやら友情とは違うもののようだ。  そうだな…同性であるお前に抱く感情としては不適切だろう。  欲情、もしくは愛情と呼ばれるものなのかもしれんが、私には判別できん。  お前が私に向ける感情を同じように返すことが出来れば良かったのだろうが…」 大和は淡々と自らの心の内を吐露していく。 淀みないその声から、既に何度も大和が自問自答したのだろうということが解る。 大和の瞼が開き、響希を真っ直ぐに見つめてきた。 響希はいつの間にか膝の上で握りしめていた拳に更に力を込めて、大和を見つめ返した。 目を細めた大和は、響希にそっと告げた。 「ヒビキ、お前に触れてみたい。お前の全てを、この身体で感じてみたい。  それが私の望みだ。……こうした欲を抱く以上、私がお前に向ける感情は友情ではないだろう?」 そこまで言って、大和は口を閉ざした。響希からの返答を待つように。 大和の告白に響希は驚いた。驚きながらも、そこに嫌悪が無い事、安堵した事実に気付きはっとする。 響希自身も、はっきりとした答えの出せない感情を大和に対して抱いている。 響希は自分の感情に戸惑い、それを大和に告げようとは思わなかった。 だが大和は真っ直ぐに自らの感情に向き合い、響希に告げた。 普通でないと理解しながら、恐れずに。確固とした自分を持つ大和の姿が響希にとっては眩しく、 そんな大和だからこそ7日間の最後、説得する事が出来ずに力ずくで止めるしか無かったことを思い出して、 響希は苦い気持ちを吐き出すように小さく笑った。自分の手で殺めてしまった命は、今は確かにここに在る。 あの時のことを思い出すと今でも胸が苦しくなるが気持ちを切り替えて、 大和の告白に答えるように、響希は大和を見た。 「ヤマト、俺も君と同じなのかもしれない。  俺は…友達だって思いこもうとしてた、でも薄々は気付いてた。  君に向ける気持ちが、友達に対するものとはどこか違うってことに。  俺もヤマトと一緒なんだ、この気持ちが何なのか、解らない。だから……」 響希はそこまで言って一度言葉を切った。渇いた唇を湿らせて、ふ、と吐息を漏らしてから続きを口にする。 「俺も、確かめてみたい」 大和が息を呑んだのが伝わってきた。 「―――それは、私の望みを叶えると…?私が望んだのはお前との性交、  つまり私は、お前を犯したいと言っている、本当に理解しているのか…?」 大和は露骨な言葉を使って響希に確認する。 その生々しさに少しだけ怯んだものの、響希はしっかりと頷いた。 大和は、馬鹿だな、と小さく呟いて目を閉じる。 その呟きにはどこか愛しさが込められているように感じて、馬鹿でもいい、そんな風に響希は思った。 <2>に続く。