懐かしい夢を見た。 あの瞬間の高揚を、今もはっきりと思い出せる。 目を開いて身体を起こすと、隣で眠っていた筈のユキトの姿が無かった。 時計を確認すれば通常通りの起床時間。 珍しい事もあるものだとベッドから降りて手早く着替え、居間へ向かう。 芳しい紅茶の香りが漂ってきた。 「モーニン、峰津院!」 聞き慣れた声で馴染みの無い呼び方をされて言葉を失っていると、 ユキトはくすくすと楽しげに笑いながらカップに紅茶を注ぐ。 「……おはよう。まずは何故英語なのか聞こう」 「あ、まずそっちなんだ。うーん、ノリとしか言いようがない」 気を取り直して先程の英語での挨拶の意味を問うと、 返ってきたのは想定どおりの言葉。 時折彼がこういった冗談を口にするのは知っているが、 寝起きの頭では対応しがたく、つい眉を寄せてしまう。 「ヤマトも何か飲む?」 「ああ、君と同じものを頼む」 「ん、了解」 ユキトがもう1つカップを用意して紅茶を注ぐのを見届けてから、 ソファーに腰を下ろして足を組み、目を閉じて暫し思索に耽った。 彼が『峰津院』と呼んだ意味を。 そういえば、出会った当初、彼は私の事を何と呼んでいただろうか。 自分の記憶が正しければ、彼に『峰津院』と名字で呼ばれたことは無い。 「…なるほど」 「何が?」 私の呟きに相槌を打ちながらユキトが目の前に紅茶の入ったカップを置き、 隣に座って目を合わせてきた。 「君が先程、私を『峰津院』と呼んだ理由だ」 「分かった?」 「私をそう呼んだ事は、今までに一度も無かった。それが理由だな?」 「正解。初めて会った時はヤマトの名前呼ぶ機会も殆ど無かったし、  局長さんって呼んでたんだよね。で、ヤマトが俺のこと名前で呼んでからは  俺もヤマトって呼んだから、名字で呼んだこと無かったな〜と思って、  どんな感じかなと1回呼んでみたかったんだ」 ユキトの返答が大体推察通りだったことに小さく頷いてから、 私は目の前に置かれたカップに手を伸ばし一口紅茶を含んだ。 ユキトが淹れるものはいつも美味しい。紅茶でも珈琲でも緑茶でも。 贔屓目があるのかもしれないが、自分が美味だと感じるのだから何も問題は無い。 ユキトも同じように紅茶を少し飲んだ後、再び口を開いた。 「ヤマトも俺のこと、名字を呼び捨てで呼んだ事は無いよな」 「…そうだったか?」 「うん、『宇内くん』とは呼ばれたけど。局員のことは名字を呼び捨てにしてたから、  いずれそう呼ばれるのかなと思ってたら、すっとばして名前で呼ばれたから吃驚した」 「名で呼んだのは、名古屋で君がフェクダを倒した後だったな。  驚いているようには見えなかったが?」 「やっぱり憶えてるんだ。そうそう、さらっと呼ばれたし、  あの時ヤマト機嫌悪そうだったから突っ込む雰囲気じゃないなって流したんだ」 「そうか。…確か、君もあの後から私の事を名で呼ぶようになった」 「ヤマトが俺の事名前で呼んでるんだから、文句は言われないだろうって思って。  『峰津院』より『ヤマト』の方が呼びやすいし。  後は…初めは取っ付きにくそうな奴だな〜って思ってたけど話してみたら楽しかったし、  最初こそ戸惑ったけど、名前で呼び合うのって仲良くなれたみたいで嬉しかったんだよ。  俺にとっては相手を名前で呼ぶのって親密さの証だから。  ―――で、本題だけど。ヤマトは何で俺の事名前で呼ぶ気になったんだ?  だいたい予想はできるけどさ、折角だから直接聞いてみたい」 ユキトからの問いかけに、今では随分と昔のように感じる過去を振り返り小さく笑った。 不思議なもので、今朝方に見た夢がまるでこの会話を予期していたかのように思える。 隣の彼を見つめて、私はその時の感情を思い起こしながら告げた。 「…1度や2度ならば、まだ偶然という事も考えられた。だが3度続けば疑いようが無い。  ユキト、君が一般人でありながら類まれな力を持つ男なのだと確信したからこそ、  私は君という存在を認めるという意味で名を呼んだ。有象無象と区別する意味で、な」 私の言葉に、やっぱりセプテントリオンか、とユキトが納得したように頷く。 そして照れたように笑って私を見つめ返す。 「その頃から特別視されてるなーとは感じてた。  俺はヤマトが言うほど大した人間じゃないと思ってたから色々複雑だったなぁ」 「君は自分を知らなさすぎる。君の采配が無ければ、君の元に集った仲間たちは全員  生き残る事は出来なかっただろう。それはメラク戦で証明されている。  あの時点では私もまだ半信半疑だった。最悪時間を稼ぐ事が出来れば良いと考えていた。  だが、君を信じてみた。メラクの特性を伝えたとはいえ、数人の犠牲は止む無しとも思っていたが、  メラクを排除し様子を見に行ってみれば、結果は予想以上。  そして名古屋でのフェクダ戦では、敵の情報がゼロの状態で君は見事に討伐してみせた。  広大な砂漠の中から一粒の砂金を見つけたかのような心持だった…」 「……ヤマトって時々、凄い饒舌になるよな」 「フフ…君のことだからな」 薄っすらと赤く色づいたユキトの頬を撫でて顎を掬い上げると、その眼は逸らされずに細められる。 親指で唇をなぞり、囁く。 「ユキト、何度でも君の名を呼ぼう。そして何度でも伝えよう。  私を選んだ事、そして私を受け入れた事、その全てに感謝している。君と出会えて良かった」 「…俺も、同じだよ、ヤマト」 ユキトが身体を寄せてくる。近付く唇に誘われるように、顔を傾けてそっと自分の唇を重ね合わせる。 すぐに唇を離せば、至近距離で微笑むユキトの顔が視界を埋めた。 腕を伸ばし抱きついてきた身体を受け止めて髪を撫でる。 「ヤマト、変わったよな。初めは俺のこと駒扱いしてたのに、今ではすっかり可愛くなった」 「君も変わっただろう?ふてぶてしい男だと思っていたが、君こそ愛らしい。特に褥の上ではな」 「………性欲なんてそんなに無さそうに見えたのに、そこも意外で計算外だった」 「それも全てユキト、相手が君だからこそ、だ」 腕の中に納まっているユキトを、愛しさをこめて抱きしめる。 彼が望めば私の腕を振り払うなど容易いという事を理解しているからこそ、感謝してやまない。 「…本当に、変わったよ、ヤマト。  出会った頃のお前も好きだったけど、今の方が俺は好きだよ」 そう言ってユキトは私の頭を撫でて、動物のように頬を摺り寄せてきた。 ふ、と笑う。彼の隣で、満たされた気持ちで笑う事が随分と増えた。 「ああ。私も、君が好きだ」 彼を真似て擦り寄ると、くすぐったそうに笑う声。 特に何をするでもなく、ユキトと共に朝の時間を共有する。 今日もまたすべき事は山のようにあるが、もう暫くは大丈夫だろう。 私はもう一度ユキトに顔を寄せた。彼も抗うことなく瞼がゆっくりと伏せられる。 唇を重ね、味わうために私もそっと目を閉じた。 君は知らないだろう。 君の中に未知の可能性を見出した私が、どれほど歓喜したのか。 今朝方に見た夢は正にその瞬間。 暴徒を退け、フェクダを倒し、名古屋支局を奪還したという報告が 私の元に届いた時の記憶――――。 色々セリフをメモったので、その時に感じた事を。 主人公はやっぱり『輝く者』なんだなぁと。