いつか芽生える





深夜と呼べる時間、私室で報告書を確認していた大和の元に、 ふらりとやってきた梓は正面に立つと、唐突に口を開いた。 「大和、キスしていい?」 その言葉の意味するところを直ぐには理解できず、 大和は手元の書類から一旦顔を上げて、梓に視線を向けた。 眉を寄せた大和の顔を常と変わらぬ捕らえ所の無い表情で見つめる梓に問い掛ける。 「何だと?」 「聞こえなかった?キスしていいか聞いたんだけど。  キスの意味が解らないとか言わないよな。接吻、口付け、キッス、あと何かあったっけ」 「……解った、もういい」 大和は深い溜息を落とした後、答えた。 「10分待て」 「何で」 「見て判らないか?」 「………解った。俺も大和の仕事邪魔したいわけじゃないし」 梓は頷くと、大和の座る執務机から離れてソファーに腰掛けた。 大和は再び書類に目を落とす。 量はあるが大した内容では無く、自分が告げた10分で切り上げて立ち上がった。 ソファーに近付くと梓は目を閉じ規則的な呼吸を繰り返している。 どうやら眠っているらしい、大和は暫しその様子を観察する。 梓という人間を大和は高く評価している。 実力主義を掲げた大和の手を梓が取った時は、柄にも無く喜びを顕わにしてしまうぐらいには 大和は梓の事を好ましく思っていた。 可憐な名の響きに反して、梓はなかなかに苛烈な男だ。 だが単純というわけではなく大和にも読めない部分は多々ある。先程の言葉のように。 ふざけた物言いをする事もあるが、そういう意図は感じられなかった。 考えても答えが出ない事に気付いて、大和は梓の頭を小突いた。 「…痛い」 「眠るのなら部屋に戻れ」 頭を摩りながら呟く梓にそう言いながら大和は正面のソファーに腰を下ろす。 本題を思い出したのか、梓は姿勢を正して大和を見据えてきた。 「それで先程の話だが。私に口付けたいと言ったな、お前は」 「言った。大和の答え、まだ貰ってない」 「その前に答えてもらおう。何故だ?」 「そんなの、してみたいからに決まってるだろ」 「答えになっていない。ただしたいだけならば私である必要は無いだろう」 「誰でもいいわけじゃない、俺は大和とキスしたい」 「……私は男だ」 「知ってる。ちなみに俺も男だよ、健康診断あったから知ってるだろうけど。  正直に言えば、理由なんて俺にも解らない。  最近大和の顔見てたら気になって、気付いたらキスしたいって思うようになった。  こういうのは同意無しにすることじゃないから、大和が嫌だって言うなら諦める。  だから、イエスかノーではっきり答えて」 思った以上に真剣な梓の表情に大和は言葉に詰まった。 嫌悪は感じない、ただ不可解だった。 大和が梓の欲求に対して嫌悪を感じないのは、梓に好感を抱いているからだろう。 梓に向ける感情が何と呼ばれるものなのか、大和自身まだ解ってはいない。 この男が言うように、口付けという接触で何か解るのだろうか。 「大和」 痺れを切らしたように梓に名を呼ばれて、大和はゆっくりと瞬いてから言葉を返した。 「…よかろう」 「え、いいの?」 「構わない、と言っている」 「やった!やっぱり言ってみるもんだな!」 梓は大和の承諾に手を叩いて喜び、立ち上がって大和の傍にやってきた。 その反応に僅かに驚きつつも、大和は黙って隣に腰を下ろしてきた梓を見た。 頤に指先で触れられる。何の躊躇いも無く、梓は距離を縮めてきた。 お互いに目蓋は開いたまま、軽く唇が触れ合う。 梓は大和の反応を窺っているようで、嫌悪が無いことを確認したのか今度は深く唇が重なった。 相手の熱が唇から伝わってくる。吐息が温かい。 ただ触れるだけのそれを物足りなく感じ、大和は目を閉じて唇を僅かに開いた。 まるで応えるように小さく開いた大和の口内へ熱く滑りを帯びた梓の舌が入ってくる。 自分の舌を絡めると、ぴちゃりと濡れた音が鼓膜に届いた。 探るようだった梓の舌の動きは少しずつ遠慮のないものに変わっていく。 ん、と甘く喉が鳴る。それを合図に梓の唇は大和の唇から離れていった。 大和の口端から零れていた唾液を梓が親指で拭い取る。 そして大和の肩に梓は額を押し付けてきた。 「梓?」 大和が名を呼ぶと、梓は顔を上げて両手で大和の右手を取った。 大和の右手が梓の心臓の上へと導かれる。 強く押し付けられれば衣服越しに梓の心音が伝わってきた。 まるで激しい運動をした後のような忙しない鼓動に大和は瞬いた。 「大和、俺、お前が好きだ」 迷いの無い梓の声に、大和は目を瞠る。 「聞こえるだろ、俺の心臓の音。大和とキスしてドキドキしてる。  もっとしたいって思うし、もっと大和の色んな顔が見たい」 「あず、さ?」 「ただの友情にこんな欲は無い筈だ、これでハッキリした。  大和は綺麗だけど男だってちゃんと解ってたから友情だって思い込もうとしてたけど、  やっぱり自分に嘘は吐けないな、うん。……大和?顔、赤いけど熱でもあるのか」 突然の告白に僅かに混乱していた大和の額に梓が何気ない仕草で手のひらを当ててきた。 「熱は無いみたいだけど、大丈夫か?」 「……ああ、問題ない」 「もしかして、無理してた?やっぱり気持ち悪かったとか」 「いや、不快では無かった」 「それならいいけど」 「―――――梓」 矢継ぎ早に質問してくる梓を制する為に大和は男の名前を呼ぶ。 梓は口を閉じ、大和を見つめてくる。 大和は自分の右手を押さえる梓の手を外し、逆にその手を取って自分の胸元へ導いた。 梓の右手を心臓の上に置く。 「…伝わっているか?」 「……大和、これ」 梓の目が見開かれる。大和の心臓も梓と同じように早鐘を打っていた。 「……私は、愛や恋などと呼ばれる感情を知識でしか理解していない」 大和はゆっくりと言葉を紡ぐ。 「私には不要な感情であったし、実際に他人にそういった感情を抱いた事も無い。  愛情は時として弱さ、甘さに繋がる。今もそう感じているからこそ、梓、  お前に抱くこの感情が何であるのか、私には解らない。  有能な者はお前の他にもいた、だが、共に世界を変革したいと、そう望んだのは  梓、お前だけだ。駒としてではない、お前の全てを私は欲している。  先程の接触も、快いと感じた。心臓は激しく鼓動している。  これは、お前が言った感情と同じものなのか?」 自らの内にある全てを話し、大和は口を閉じた。 梓は何度か瞬きを繰り返した後、満面の笑みを浮かべて大和の胸から手を離し、 両手で大和の手を握り締めてきた。 「俺は大和じゃないから、お前の気持ちなんて解んないよ。  でも俺と同じだって、大和がそう思ってくれるなら凄く嬉しい。  だって両想いってことだろ?元々そこまで望んで無かったから尚更だ。  またキスしたいぐらい。大和は、俺に何かしたいこと、ある?」 梓に聞かれて大和は小首を傾げてから小さく頷いた。 「私も、もう一度、お前と口付けを交わしたい」 大和の言葉は途中で重なってきた梓の口内へと消えた。 目を閉じ顔を傾けて、大和は梓の唇を堪能する。梓の唇を食むと、梓の舌が大和の唇を舐めた。 軽く舌に歯を立てれば相手も立て返してくる。 競い合うように互いの唇を貪って、呼吸が苦しくなってきた頃に漸く互いに離れた。 梓が大和に抱きついてくる。首筋に唇を当ててから小さく呟いた。 「むらむらしてきた」 「…?そうか」 「解ってないだろ、大和」 「フフ、さあな。私はもっとお前と触れ合いたい」 「触って良いよ、大和が俺に触った分、俺も大和の事触るから」 「ではベッドに移るか」 「―――誘ってる?煽ってる!?言っとくけど俺、火がついたら止まんないからな!」 「お前の性格は把握している。我を通すように見えてその実相手を慮っていることもな」 大和を抱きしめる梓の腕に力が篭り、不平を示すように唸るのが耳元に届いて大和は笑った。 自らも腕を回してあやす様に背を軽く叩く。 「憶えておけ、梓。私にはお前が必要だ。  お前が私の求めに応じるならば、私もお前に応じよう。ずっと……傍にいろ」 大和は偽りの無い想いを口にした。目を閉じて梓に身体を預ける。 この何の面白みもないだろう男の硬い身体を欲するというなら、 望むままにと思っている事はまだ胸に秘めたまま。 梓は何かを感じたのか、腕の力を緩めて大和の髪を梳いた。 「俺の命が尽きるまで、お前の傍にいる。好きだよ、大和」 梓が厳かに告げた。まるで誓いの言葉のように。 その言葉は、生まれて初めて大和の胸中を温かいもので満たしていった。 大和にはまだ実感が伴わない故に、梓に同じ言葉を返す事は出来ない。 愛情というものを本当の意味で理解した時、大和は告げるのだろう。 今はその日が訪れる事を柄にも無く祈りながら、梓の想いをただ受け止めた。 実は主ヤマも好きなので書いてみたけど、通常運転でした。 どっちも好きだったり。