ヤマトとの関係は良好だ。 忙しい日々の中、毎日挨拶のようにキスは交わしているし、 富士での一件以来、時間があればお互いに深く触れ合う事もある。 キスは俺からもするようになったからか、ヤマトの機嫌は良い。 後は最後の一線、というやつなのだが。 自分から誘わなければならない分、切っ掛けがないと中々難しかった。 だが『無理』ではなく『待て』と言った以上、 いつまでもヤマトを待たせるのは悪いとは思っている。 男同士でのあれこれは、インターネットが使えるようになってすぐに調べた。 調べすぎてしまったせいで、ますます逃げ腰になっているのだが。 まさに、あなたの知らない世界だった。 せめて準備だけはしておこうとゴムはコンビニで買ってみたり、 ローションは生々しすぎたのでオリーブオイルを手に入れてみたり、 あとは洗浄方法や前立腺マッサージとやらを確認して。 今はヤマトにはバレないように(バレたら恥ずかしすぎる) 夜シャワーを浴びる時に俺は密かに前立腺マッサージというものに挑戦していた。 初めは緊張して指1本挿れられなかった。無理はせず、ゆっくり慣らしていって、 3日目に漸く指を根元まで挿れることは出来るようになった。 それから抜き差し出来るようになるまでに数日、おそらく前立腺と呼ばれる しこりを見つけるのに数日、そこを刺激することが出来たのは更に数日後。 自分ですると手加減してしまうせいか、未だに前立腺で快楽はなかなか拾えなかった。 中途半端に勃ちあがりはするが、結局最後は手で擦って吐き出していた。 どうせするなら気持ち良くなりたいし、変にヤマトに気を遣わせたくない。 自分ではなく他人に、ヤマトにされたら気持ち良かったりするのだろうか。 こればっかりは実際にされてみなければ解らないし、その為の勇気はまだ出そうになかった。 そうこうしている内に年は明け、季節は初春になっていた。 切っ掛けとしては最適である行事、クリスマス、年末年始、バレンタイン、全て終わってしまった。 『情けないな、俺』 自嘲して、俺は足下にある暴走携帯を踏み砕いた。 状況終了、1つ息を吐いて顔を上げる。 「お〜、ユキトくん、お疲れ」 「ジョーもお疲れ。今更だけど時間、大丈夫だった?人手が欲しかったから頼んじゃったけど」 「平気平気、今日は仕事休みだったからこっち来たんだしね〜」 ジョーがへらりと笑って手を振る。それなら良かったと俺は軽く笑い返した。 今日は悪魔討伐の応援で名古屋に来ていた。 ジプス名古屋支局を出た所で偶然ジョーと出会い、協力を頼んで現在に至る。 「お礼に何か奢るよ」 「ユキトくん、太っ腹〜♪じゃ、モーニングサービス間に合うし、喫茶店入ろっか」 「確か名古屋って喫茶店の朝食が豪華なんだっけ?」 「そーそー、よそから来た人は皆びっくりするよぉ」 ジョーと会話しながらのんびり歩いて、見つけた喫茶店に2人で入った。 2人分のコーヒーを頼むと、厚切り半トースト、スクランブルエッグ、サラダが付いてきた。 朝は食べていなかったのでありがたい、ジョーも同じだったのか2人で一先ず食事を済ませた。 以前と変わらないサービスが出来るぐらいに復旧したんだと思えば、日々頑張っている甲斐がある。 もしかすると苦しいながらも市民の為に前と同じサービスを心掛けているのかもしれないが。 砂糖とミルクを入れて甘くしたコーヒーを飲みながら、そういったことをぼんやり考えていると、 ふと視線に気付いて正面に座っているジョーに顔を向けた。 「何?」 「んー、や、悩みでもあるのかな〜って」 「……そう、見える?」 「おじさんはユキトくんより長生きしてるからね。なんなら相談に乗るよ、青少年」 ジョーは本気とも冗談とも取れるような調子で言ってくる。 悩みは確かにあったが、流石に気軽に話せるような事ではない。 こればっかりはダイチにも話すのを控えているぐらいなのだから。 どう答えるべきか迷っていると、ジョーは言葉を重ねてきた。 「そういえば、峰津院も丸くなったよねぇ」 ヤマトの話題に内心ドキリとする。顔に出ていなければいいけど、と思いつつ相槌を打った。 「ヤマト?」 「そうそう。最近会ったけど、かなり機嫌良さそうで驚いちゃった。 これもユキトくんのおかげかな?」 「ようやくヤマトが望んでた世界になったんだし、だから機嫌が良いんじゃないか?」 「それも勿論あるだろうけど、それだけじゃ性格が丸くはならないでしょ。 俺はね、峰津院の傍にユキトくんがいてくれて良かったなぁって思ってるよ。 主張の違いってやつで1回敵対しちゃったけど、俺は峰津院のこと別に嫌いじゃなかったし。 クリッキーは嫌ってたなぁ、そういえば。なんか、しんどそうだと思ってたんだよね、峰津院。 大人が不甲斐無いせいで重いもの1人で背負って大変そうだったから。 それは世界がこうなっちゃった今も変わんないけど、それでも少しは肩の力が抜けて見えるのは 隣にユキトくんがいるからだよね。全然自覚無しってわけじゃないでしょ、ユキトくんも。 実力主義の社会が思ってたより良い感じなのもユキトくんのおかげかなぁ。 峰津院だけで世界を変えてたら、もっと酷い事になってた気がするよ。 峰津院にとってユキトくんは、それだけ大きな存在だって事だ。 誰かに必要とされるのって、凄く幸せな事だよねぇ。 …俺も、そういう人間だったなら嬉しいなぁ、なんてね」 ジョーが語る内容はじわりと胸に沁みていった。 最後の呟くような言葉は、亡くなった彼女に向けた言葉だと気付く。 彼女のお墓参りの為に名古屋を訪れていたんだろうか。 口を挟まず静かに聞いていた俺に、ジョーはおどける様に笑って続けた。 「悪魔がうろつく物騒な世の中になって、ユキトくん達はそういうのと進んで関わってるんだから、 それこそいつ死んじゃっても可笑しくないんだし、悔いだけは残さないようにね。 以上、おじさんからのアドバイスでした〜余計なお世話だったかな?」 ジョーは俺の悩みがヤマトに関することなのだと薄々気付いてこんな話をしたらしい。 「……ジョーって、いい加減なふりしてるけど、人のこと良く見てるよね」 「あれ、褒められてる?呆れられてる?」 「褒めてる。ジョーのおかげで吹っ切れそうだ、ありがとう」 「や〜ははは、改まってお礼とか言われるとくすぐったいねぇ」 ジョーはすっかりいつもの様子に戻っていて、先程の真剣さは微塵も無い。 俺もそれで話を切り上げて、残っていたコーヒーを啜った。 いつ死んでも可笑しくないというジョーの言葉は確かにその通りで、 でも言われなければ考えようとしなかったかもしれない。 あの8日間で何度も死に掛けたというのに、時が経つとこんなに簡単に忘れてしまう。 ヤマトだって常に矢面に立っているのだから、俺よりもずっと危険なわけで。 それを考えると、今まで悩んでいた時間が勿体無く感じた。 なんて単純なんだと笑ってしまう。心の中でもう一度ジョーに感謝する。 ジョーとは喫茶店で別れた。これから彼女に会いにいくのだろう。 俺は手を振って歩いていくジョーの背中を暫く見送ってから名古屋支局へと足を向けた。 本局へ戻ったらヤマトに予定を聞いて、時間を作ってもらおう。 また変に怖気づいてしまう前に、自分で退路を塞いでしまえ。 そんなことを思いながら俺はゆったりと歩いた。足取りは軽かった。 次で一応終わりかな。