それを人は運命と呼ぶのでしょう<2>





激動の初日を終えてから早や一週間。真琴の言葉通り、忙しい一週間だった。 まず日々の訓練。それは基礎体力作りや作戦任務の為の戦闘訓練といったものだ。 そしてジプスから支給された悪魔召喚プログラムがインストールされた携帯を使用しての模擬戦闘。 実感はあまり無いが、俺はこの悪魔を使役しての戦闘が人よりも優れているらしかった。 悪魔への指示が的確な事から、統率力や指揮能力にも注目された。 行く行くは現場の指揮を任せることになるかもしれないと真琴に言われた時は買いかぶりすぎだと思ったが。 悪魔相手と人間相手では勝手が違う。ジプスは実力主義な面がある組織だとこの一週間で感じたが、 少なくとも局員達と信頼関係を結んだ後でなければ指揮など無理な話だろう。局員達は自分よりも年上だ。 局長である大和のようなカリスマがあれば話は別だが、俺にそんなカリスマがあるとは思えない。 訓練の他に作戦任務も経験した。その任務で俺はある事実を知った。 ここ数年ニュース等で報じられてきた多くの不可解な事件、それらには悪魔が絡んでいたらしい。 そしてジプスはそれらの事件に対し、対処、隠蔽工作を行ってきたということだ。 ジプスに入らなければ一生知らなかった事実だろう。 数年前まではジプスの存在を快く思わない反対勢力に対しての粛清、排除等が任務の主な内容だったそうだが、 最近は悪魔への対処が増える一方だという。原因は目下調査中とのことだ。 真琴の指揮下での戦闘任務、相手が悪魔で良かったというのが正直な感想だった。 悪魔という存在に対して俺は初めからさほど恐れを抱いていない。 初めての実戦で悪魔を相手に物怖じせずに戦う俺の姿に、真琴も他の局員達も驚いたという。 戦闘は怪我人を出すことなく終了、民間人への被害もゼロ。初陣は何の問題も無く完了した。 そして俺は、多くの局員達に力を認められることとなった。 ジプスに来て初めての休日。俺は自室で惰眠を貪っていた。 毎日心身ともに疲れていたので睡眠だけはしっかりとっていたが、 休みになった途端、朝起きられないということは、睡眠が足りていなかったということだ。 一度目覚めた時に携帯で確かめた時間は朝の7時。 そしてそのまま力尽きて、現在の時間を確認すると11時。 流石に腹が減ってきた、が、眠い。微睡みながら迷っているとドアをノックする音が耳に飛び込んできた。 「皓稀、起きているか」 続いて聞こえた声に俺は一気に覚醒した。ベッドから起き上がってドアに駆け寄り、 開けたところで寝起きそのままの自分の姿を認識して、しまったと思ったがもう遅い。 ドアの前に立っていたのは黒いジプスのコートを身に纏った麗しの局長、峰津院大和。 大和は俺の姿を見て僅かに目を見開いている。 「局長……おはようございま、す?」 いや、もうこんにちはか、などと挨拶に迷う俺の頭はまだ半分眠っているらしい。 「起こしてしまったようだな」 大和は唇を僅かに緩めて話しかけてきた。そこに俺を咎めるような響きは感じない。 「いえ、起きるところだったので」 ばればれの嘘をつきながら俺は大和が何故ここへ来たのか考えてみた。 局長が一局員である俺の所まで来る理由。そんなもの見当もつかない。 そういえば大和の顔を見るのは一週間ぶりだな、とか、相変わらず綺麗な顔してるな、とか。 そんなことを考えていると大和が言葉を発した。 「君と話がしたいのだが、時間をとれるか?」 「え、あ、はい」 大和の言葉に返事をした直後、ぐうと腹が鳴った。慌てて腹を押さえてみるが勿論意味は無い。 フ、と大和が微笑する。恥ずかしさに俺は視線を逸らした。 「空腹のようだな、君さえ良ければ食事を用意させよう」 「ではすぐ着替えます」 局長からの誘いを拒む理由は無い。 俺の返答に頷いた大和を見届けてからドアを閉め、急いで着替え始めた。 ジプスの制服に袖を通しながら、あれ、と俺は今更のように気付く。 「……さっき、俺のこと皓稀って呼んだ?」 そう。一週間前は俺を『司くん』と呼んでいた大和が、『皓稀』と名前を呼び捨てた。 一週間大和と顔を合わせていないので、自分が抱いている大和への気持ちにそれ程変化は無い。 だが、大和には何らかの変化があった、ということになる。それも多分良い方に。 大和は俺が知る限りでは局員に対して名字を呼び捨てていた。 特に何もなければ俺も『司』と呼ばれるはずだ。『皓稀』と呼ばれた意味。 「期待に応えることが出来た…ってこと、かな…」 大和はここ一週間の俺に関する報告を受けているのだろう。 いったいどんな風に大和に伝わったのか気になるところだが、それよりも。 俺の名前を呼んだ大和の声が妙に耳に馴染んだのが不思議だった。 あの声でもっと呼んで欲しい、そんな風に思ってしまうほどに。 「まるで、恋する乙女だ」 はは、と誤魔化すように小さく笑って、俺は身なりを整えた。 ドアを開けて部屋から出ると、大和がドアの横で待っていた。 「お待たせしました」 「構わん、行くぞ」 歩き出した大和の後ろに付いていく。どこへ向かっているんだろうと思いながら歩いていると、 「普段から君はそんな言葉遣いなのか?」 突然大和に問いかけられた。 正直敬語は得意ではないので、変な話し方になっていただろうかと首を傾げつつ俺は答える。 「いえ、違いますが」 「そうか。では、今後は普段通りに話せ。私の事も好きに呼ぶといい」 大和の言葉に俺は目を何度か瞬いた。大和は足を止めて振り返り、俺を見据えて再び口を開く。 「君は自身が有能であることを示した、そして私はそれを認めた。何も問題はあるまい?  ジプスでは実力が全てだ、君は間違いなく私と並びうる力の持ち主だ。  そんな君が私に対し畏縮するなど可笑しな話だろう」 大和の言った事を頭の中で整理してみる。―――つまり、要約するとこういうことか。 『お前のことが気に入ったからタメ口で話せ、あと名前を呼べ』 「……何故笑う?」 「――ふは、ごめん」 思わず噴き出してしまった俺を大和が腕を組みながら睨んでくる。 それでも俺は零れてしまった笑みを隠せなかった。 局長である大和が、一局員である俺の事を評価し、その上俺に対等であることを求めてきた。 出逢った時から気になっている大和からの歩み寄りだ、嬉しいに決まっている。 あまり笑っていると大和の機嫌が悪くなりそうなので俺は1つ咳払いをして、 「じゃあ、大和って呼んでも?」 そう訊いてみた。大和は僅かに目を瞠った後、 「よかろう、皓稀」 ゆっくりと口角を上げながら言った。俺が『大和』と名前を呼ぶことを受け入れてくれた。 そして間違いなく俺も名前で呼ばれたことに、胸の奥がじんわりと熱くなる。 気を取り直して俺は大和に話しかけた。 「出逢った時から大和と気軽に話せるようになったらいいなって思ってたから、  まさかこんなに早く願いが叶うとは思わなくて吃驚した。  言葉遣いも敬語苦手だし助かる。でも、大和と2人で話すときだけにしておくよ。  ジプスでは実力が全てだっていうなら、周りにちゃんと認めさせてからでないと。  組織ってそういうものだろ?」 俺の声に耳を傾けていた大和は一理あるかと頷いて微笑み、 「では成果を上げ、半年で私の側近になってみせろ。君ならば可能だろう?」 当然のように俺に要求してきた。一局員が半年で側近局員、普通の組織なら不可能だろうが、 不可能であることを大和が強要するとは思えない。ジプスでは努力次第で可能ということだろう。 それで更に大和に近付けるなら願ってもない事だ。 「わかった。半年後には必ず側近として大和の隣に立つよ」 俺は不敵に笑って見せた。そんな俺を見て大和も満足気に笑っていた。 会話を一旦止めて再び歩き出す大和の後に続く。 司令室に出て別の通路に入り、暫く歩いた先に部屋があった。 大和が部屋のロックを解除してドアを開ける。 「入りたまえ」 促されて先に入る。部屋は広かった。 壁は本棚で埋め尽くされていて窓際にテーブルと二脚の椅子。 執務机にソファー、奥にはベッドがあるようだ。 「ここは?」 「私の部屋だ。先に食事にしよう」 私室に招かれたことに驚きつつも、俺は大和が指差した窓際の席へと足を運んだ。 大和は内線で食事の用意を指示した後、こちらにやってくる。 テーブルの上にはチェス盤が置かれていた。 「大和、チェスやるんだ」 「手習い程度にな。君は?」 「一応駒の動かし方は知ってるってレベル」 「フ、それは残念だ」 大和の声が本当に残念そうだったので、ジプスでの生活が落ち着いたらチェスを覚えようという 気持ちが自分の中に生まれてしまった。当分の間はそんな余裕は無いだろうが。 暫くすると給仕の人がやってきて、テーブルの上のチェス盤を片付けた後そこへ食事を並べてくれた。 デミグラスソースがかけられたハンバーグ、サラダ、中央に籠に入れられたパンの山。 準備が終わると給仕の人は頭を下げてすぐに出て行った。 「足りないようなら遠慮せず言え」 「ありがとう、これで充分」 食欲をそそる匂いが辺りに漂う。 また腹が鳴る前にと俺は手を合わせていただきますと口にしてからナイフとフォークを手に取った。 出された食事をぺろりと平らげて、食後の珈琲を飲む。 結局パンは殆ど俺の腹におさまった。 腹が満たされれば瞼が重くなってくるが、本来の目的を思い出して俺は大和に話しかけた。 「俺と話がしたいって言ってたけど、何?」 大和は上品に珈琲を口に含んだ後、居住まいを正して口を開いた。 「君の経歴は調べさせてもらったが、どうにも解せないことがあったのでな」 「……?別に普通の人生送ってきたつもりだけど」 「そこだ」 「そこ?」 「君は非凡な才能を持つ人間だ。だが調べてみると高等学校を卒業するまでは  どの分野でも君は目立つほど優秀な成績を残してはいない。  意図的にそうしていた、と思えるほどにな。私が知りたいのは何故そうして自分を殺していたかだ」 大和に真っ直ぐに問われて俺は返事に詰まった。大和の指摘はどこまでも正しかったからだ。 俺は少し迷って、一度唇を噛み締めて、大和の目を見て逆に問い掛けた。 「それはジプスの局長としての質問?それとも個人的に俺という人間を知りたいから?」 「…その問いに意味はあるのか?」 大和が訝しげに聞いてくる。 「あるよ、少なくとも俺には」 俺がそう言うと、大和は一度目を閉じ考える素振りを見せた。 黙って待っていると大和は瞼を開き、静かに声を響かせる。 「皓稀、私は君の在り方に疑問を抱いた、個人的に君の事が知りたい」 大和の答えに俺は口元を緩ませた。大和の言葉が本心かどうかは目を見れば判る。 本当に俺という人間を大和が知りたいというのなら、俺も嘘偽りなく告げなければ。 「簡単な話だよ、少なくとも俺が今まで生きてきた世界では突出した才能は周りから叩かれる。  余程うまく人と付き合わないかぎりね。俺は付き合いがうまくなかったから、目立ちたくなかった。  だからわざと成績を落としてたってわけじゃないけど、それなりの勉強しかしなかった。  自分が非凡だってことも正直気付いてなかった。俺は普通であることに満足してたから」 俺の返答に大和は眉を寄せた。不可解だ、と言葉にせずとも表情で語っている。 「――愚民は価値ある人間を地に引きずり下ろす。君はこの腐った社会の犠牲者であると言えるわけだ。  だが君は大学へ入ってからは有能さを隠さなくなった。一体何が君を変えたのだ?」 大和が世俗に抱く憤りを垣間見て少しその思想が気になったが、今は大和の問いに答えることが先だろう。 俺はどう答えるべきか悩んだ。俺の人生の転機となったのは間違いなくあの不思議な夢だ。 原因が解らない妙に現実味がある夢。 夢に出てくる出逢った事のない筈の相手を、大切な存在だと感じたこと。 その相手に出逢う為に努力してきたこと。 大和は俺を変えたものを知りたいという。なら、夢の話は避けては通れない。 日本の霊的守護を担ってきたというジプスの局長である大和なら、夢の話を信じてくれるかもしれない。 もしかすると、この夢の原因さえ分かるのかもしれない。 だが、夢の話をするのは少し気恥ずかしくもあった。 俺はその夢に出てきた大切な存在が、目の前に居る大和なのだと理由も無く確信していて、 流石にそれを本人に告げるのは気が引けた。 うまくその辺りのことだけ誤魔化して大和に伝えられるだろうか、俺はとりあえず口を開いてみた。 「…上手く説明出来ないけど、夢を見たんだ、高校3年の秋の終わりに。  その夢の中に出てきた知らない誰かに会う為に、俺は自分を最大限生かす必要があったんだ」 そこまで言って俺は一度口を閉じた。大和の反応を待つ。 大和は俺の話を笑わなかった。くだらないと切り捨てなかった。 何かを思い出すように顎に指を添えた後、大和が口を開く。 「その誰かについて、話せるか?」 「う」 「私には話せない、か」 言葉に詰まる俺を大和はどこか楽しげに見ていた。まるで何かに気付いたというような、そんな表情。 大和は空気を震わせるように微かに笑って再び口を開いた。 「一つ思い出したことがある。私が君と初めて対面した時のことだ。  君は言っていたな、私と初めて出逢った様な気がしないと」 ―――ああ、確かに言った。ついぽろっと。あの時は舞い上がっていて、うっかり口走ってしまったのだ。 そういえばと俺も思い出した。あの時大和の様子もどこか可笑しかったことを。 そんな俺の様子に気付いたのか、大和が続きを口にする。 「君にばかり語らせるのも公平ではないな、一つ白状しよう。  私も夢を見ていた、恐らく君と同じ時期にだ。  その夢に出てきた誰とも知れぬ人物に逢わねばならないと思っていた。  だが如何せん手がかりなど無い、夢を見てから4年が過ぎた、逢うことはないのかもしれない、  そう断念しかけた時に、皓稀、私は君の存在を知った。手元に届いた適正検査のデータによってな。  そして君と出逢い、私は確信した、ようやく見つけたと。まさか君も私と同じような夢を見ていたとはな。  ならば私と君は何かに導かれ、こうして出逢ったということか。  しかし時間がかかったものだ、どうせ出逢うならばもっと早くに見つけ出すことが出来れば良かったものを。  君も、確信しているのだろう?その誰かが私であることに」 大和は恥ずかしげも無く自信満々に言い切った。 気恥ずかしいと、言うのを躊躇っていた自分が情けなく思えるほどに、大和の好意は直球だった。 大和も俺と同じような夢を見ていたことにも驚いた。 俺と大和の間に、一体どういった繋がりがあるんだろうか。 とりあえずは今まで自分の中にだけあった不思議な夢のことを共有できる人間がいた事実が嬉しい。 それが他でもなく大和だというのだから嬉しさは倍以上だ。 いつの間にか強張っていた肩の力を抜いて、俺は笑った。 「うん、俺はきっと、大和に出逢う為に変わったんだよ。  不思議な夢とか気になる事も色々あるけど、大和に出逢えたから、もういい」 笑いながら言った俺に、大和も目を細めて微笑む。 「そうか、私が君を変えたのならば、これほど喜ばしいことも無い」 大和の笑顔を見て、俺の心臓がばくんと跳ねる。 その高鳴りが何を意味するのか分からなかったが、暫くそれは続いた。 大和と話し終えて、仕事へと戻る背中を見送り、自室へと戻るまで。 <3>へ続く