ふらふらと部屋を出て司令室に足を踏み入れると、ヤマトは既に待っていた。 おはようと挨拶をした後、手のひらを口元に当てて大きく欠伸をする。 「睡眠が足りていないようだな」 ヤマトはそう言って、涙が滲んだ俺の目尻を指先で擽ってきた。 「ん……昨日は早めに寝たんだけど、朝早いのはやっぱり苦手だ」 目元を擦りながらヤマトに答える。時刻は朝の6時を過ぎたところ。 昨日は一昨日とは違い眠りが浅いということはなかったが、普段の睡眠時間を考えると足りていない。 「現地に到着するまで、車で少し眠っておくといい」 「そうさせてもらう」 ヤマトの提案に素直に頷く。では行くぞ、とヤマトが歩き出したので俺も後に続いた。 進む先はターミナル。ジプス東京支局に移動して、そこからは専用車両で富士山の麓まで行く予定だ。 富士山の噴火によって周囲にどの程度の被害が出たのかは行ってみなければ分からないらしいので、 行ける所まで車で行って、後は悪魔を使役して富士山頂を目指す、とのこと。 俺は隣に並んでヤマトの顔を見た。ヤマトは随分と上機嫌だ。 その理由の1つは、きっと今の俺の服装だろう。 これは所謂ペアルック、だろうか。 ヤマトに昨夜手渡された、どう見てもヤマトと同じデザインのジプスの制服。 黒いロングコート、編み上げブーツ。 どう考えてもこれはヤマトだから似合うのであって、俺自身はヤマトのコスプレをしているような気分だった。 絶対、似合っていない。というか、 「ヤマト、これ、いつ作ったんだ?」 俺は自分の着ている服を示して純粋な疑問をヤマトに投げかけてみた。ヤマトは事も無げに答える。 「世界改変後、いずれ必要になるだろうと作らせておいた」 君によく似合っている、そんな褒め言葉まで付け加えて。 「なかなか機会が無く渡しそびれていた。 健康診断の時のデータを使わせてもらったが、サイズに問題はないか? この制服は耐久性に優れたものだ。悪魔との戦闘にも耐えうる。 今日の戦闘は梃子摺るだろう。渡すのに丁度良いと判断した」 ヤマトの説明になるほどと納得できる部分もあったが、1つ気になって俺は言った。 「確かに丈夫そうだけど、これって局長の制服じゃないのか? 俺、お前の隣には立ちたいけど、局長になる気は無いからな」 ヤマトは眉を寄せて不服そうな顔を見せる。俺は苦笑を零した。 ヤマトは俺がヤマトの手を取った時にこう言った。 然るべき時には、自分と同列の席を用意しよう、と。 その言葉はヤマトの本心なんだろう。 ヤマトに認められるのは嬉しいが、言ってしまえば俺はヤマトが認めてくれるだけで充分で、 万人の評価は求めていない。トップに立つ人間が2人というのも色々問題が起きそうだとも思う。 だから、 「折角作ってくれたんだし、それなりの場所に出るときは着ることにするけど、 俺は局長補佐あたりの役職にして貰えると嬉しいんだけどな」 そう言って不満を滲ませているヤマトの頬に右手を伸ばして撫でた。 ヤマトは小さく溜息を吐いて、 「その件は一旦保留、だ。私は諦めんぞ」 ぽつりと呟いて俺の右手に左手を重ねて顔を動かして、手のひらに唇を押し当ててきた。 どこかヤマトが俺に対して甘えているようにも思えてしまって、 俺は仕方のない奴だなと感じながらも頬が緩んでしまうのを自覚した。 この件ばかりは譲歩するつもりは無いが。 話しているうちにターミナルに到着する。 俺とヤマトは気持ちを切り替えて顔を見合わせる。 俺が小さく頷いたのを確認してヤマトはターミナルを起動させた。 一瞬の後そこはもう東京のターミナル。少し離れた場所にあるエレベーターに乗り込み地上を目指す。 地上に出ると、近くにヤマトが手配した車があった。 俺とヤマトが車の後部座席に乗り込んだのを確認して、運転手が車を発進させる。 座席に腰を下ろした途端、睡魔が俺を襲った。瞼が重くなる。車内の僅かな振動も眠気に拍車をかける。 くすりと小さく笑う気配を隣から感じた。 「いいから眠っておけ」 ヤマトの柔らかい声を聞いて、俺は身体の力を抜いて眠りに身を委ねた。 がたん、と強い振動を感じて俺は覚醒した。 車が停止したようだ。 「局長、これ以上は無理のようです」 運転手の言葉にヤマトは、 「そうか、ではここからは悪魔を使う。追って連絡する、支局へ戻っていろ」 そう命じて、目が覚めた俺に目配せして車を降りた。 俺も車を降りて辺りを見回す。 目の前に広がる惨状に眉を寄せた。 富士山の噴火による傷跡は思っていたよりも酷いものだった。 ポラリスの、超常の力による破壊とはまた別物の、純然たる自然の猛威。 自然の力というのは怖ろしいものだと、改めて実感する。 ユキト、と声を掛けられて我に返った。 俺は携帯を取り出しながらヤマトの傍に歩み寄って口を開いた。 「この様子だと、当分の間はこの付近に住んでいた人達は戻れないだろうな」 「仕方あるまい。たとえ噴火が無くとも都市の結界が喪失したことによって、 この辺り一帯は龍脈の力を求める悪魔の溜まり場になっている。 いずれにしろ力の無い人間はここには近寄れまい。 悪魔の気配は君も感じているだろう?」 「……まぁね…周りにいるのは無視出来るレベルの悪魔かな」 「そうだな。徒に消耗する必要もないだろう」 ヤマトと会話をしながら携帯を操作して、レベルの高い霊鳥タイホウを召喚した。 ヤマトも同じ悪魔を召喚し、その背に乗る。 俺たちをここまで運んでくれた車は既に引き返している。 運転手もジプスの局員だ、仮に悪魔に襲われたとしても対処出来るだろう。 タイホウに跨って合図を送り、空へと舞い上がる。 富士山頂へ向けて俺たちは出発した。 山頂に到着し、富士山頂を見下ろす形で上空に待機する。 やはりここまでくるとかなり寒く、少し息苦しい。 高山病が頭を過ぎり、腹式呼吸を心掛ける。 ―――正直に言うと、現実逃避でもあった。 眼下には黒い影が蠢いていた。間違いなく悪魔だろう。 何体いるのか数えたくもない。 龍脈の力を取り込んだ悪魔もいるのだろう、ぞくりと肌が粟立った。 「ヤマト、段取りは?」 逃避していても仕方がないと、俺は隣を飛ぶヤマトに聞く。 「一先ず山頂一帯に龍脈の力を使い結界を張る」 ヤマトは山頂を見下ろしながら簡潔に答える。 龍脈の力を使う、という言葉に多少の不安は過ぎったが、 今ヤマトの身を案じても仕方のないことだと割り切って、 「じゃあ俺はヤマトを守りつつ悪魔を殲滅すればいいんだな」 自分の役割をヤマトに告げた。 「君はやはり聡明だ」 嬉しそうなヤマトの声が届いて俺は笑みを零す。 「アリオトの調査を思い出すよ、あの時よりも大仕事になりそうだけど。 ―――さて、それじゃ蹴散らしてくる!」 叫ぶように言って気合を入れて、俺はタイホウに降下を命じた。 悪魔の姿を判別できる距離まで迫って、俺はメギドを放つ。 それで何体かの悪魔は消し飛んだ。 山頂に降り立ちタイホウを帰還させて新たな悪魔を召喚する。 「遊んでおいで」 まず召喚したのは魔人アリス。金の髪の無邪気な少女は楽しそうに笑いながら凶悪な力を揮う。 もう一体は神獣ビャッコを召喚し、ビャッコの千烈突きと俺のメギドで アリスが取りこぼした悪魔を倒していった。 山頂に集まった悪魔はポラリスと対峙した時に戦った悪魔とほぼ同レベルのようだ。 それなりに厄介だが問題は無い。 周囲の悪魔を一掃すると、そこへヤマトが降り立った。 おそらく上空で見定めていたポイントへ駆けて行くヤマトの背中を追う。 俺達に気付き接近する悪魔を迎撃する。 ポイントに着いたらしいヤマトは跪いて携帯を操作している。 ヤマトの身体が青い光に包まれた後、地面に何かが刻まれた。 「あと3ヶ所だ」 そう告げたヤマトに頷いて、俺は再び駆け出したヤマトを守るために後に続いた。 「これで、最後だ…!」 ヤマトが4つ目のポイントで作業を終えた瞬間、何か大きな力が辺り一帯を包み込むのが俺にも判った。 俺は目の前に残っていた最後の悪魔を倒して、大きく息を吐いて地面に腰を落とした。 お疲れと労って、満足気なアリスと喉を鳴らしたビャッコを帰還させる。 「君もご苦労だった」 俺の肩を撫でながら言ったヤマトを見上げて、疲れたと笑い混じりに俺は言い返した。 ヤマトは目を細めながら口を開く。 「永久ではないが、暫くの間は結界の効力でこの一帯に悪魔は近付けまい。 その間にターミナルとクサビ施設の修復を急がねばな」 「…全壊でなければいいけど」 「噴火も想定して作り上げた施設だ。損傷を受けてはいるだろうが」 「噴火……想定してたならなんであの時言ってくれないんだよ。本気で死ぬかと思った」 「不確定要素を告げても混乱を招くだけだと判断したのでな」 「……ま、もう終わったことだからいいけど」 ヤマトとの会話でクサビを抜いた時の事を思い出しながら俺は重い腰を上げた。 「もういいのか?」 「うん。休むなら山下りて休みたいし、早く終わらせよう」 「そうだな」 ヤマトは俺を気遣いながらもクサビ施設がある方角へと歩き出した。 俺も疲れた身体に鞭を打ちながら足を動かした。 施設は俺が思っていたよりは損傷は少なく見えた。 それでもヤマトの表情を見ると、それなりに問題はあるのだろう。 携帯で遣り取りをしながら施設を確認するヤマトの邪魔にならないように俺は入口で待機した。 こういった方面では俺は役に立たない。 結局、悪魔との戦闘ぐらいでしかヤマトの力になれないんだな、と思う。 政治のことも勉強すべきか、そんなことをぼんやり考えているとヤマトが戻ってきた。 「終わった?」 「ああ。あとはターミナルだな」 言葉を交わし、ターミナルへと足を向ける。 ターミナルの出入り口は噴火による塊状溶岩等で塞がれていて、 それはヤマトがケルベロスを召喚して排除した。 内部に足を踏み入れる。 溶岩は流れ込んだようだが、中心にあるターミナルを起動する装置は無事に見える。 ヤマトが装置に近付いて携帯を翳すが、反応はしないようだ。高熱でやられたのだろうか。 暫く思案した後、ヤマトは携帯を操作して耳に当てた。通話の相手はフミのようだ。 何点か確認した後電話を切って俺と視線を合わせた。 「終了だ」 「どうにかなりそう?」 「時間はかかるが修復の目処が立った」 「そっか、良かった」 今日の目的は達成されたらしい。俺は安堵の溜息を吐いた。 「そういえば、今日は宿に泊まるって言ってたけど、どうやって行くんだ?」 ターミナルの出入り口から外に出る。 寒さに身体を震わせながらこの後の予定をヤマトに聞いた。 携帯を確認すると時刻は昼の3時になろうとしていた。思い出したように腹が空腹を訴えてぐぅと鳴る。 どうやら腹の音が聞こえたらしい、ヤマトは口元に笑みを浮かべながら、 「峰津院が管理する宿だ、一般の人間が立ち入らぬよう特殊な結界が張られている。霊鳥で移動しても問題ない。」 そう言って、再びタイホウを召喚した。俺にヤマトのタイホウに乗るよう促してくる。 「君は疲れているだろう、二人で乗っても支障は無い筈だ」 その言葉に甘えて俺はタイホウに跨った。すぐにヤマトも俺を支えるようにすぐ後ろに跨る。 ヤマトが命じ、少し重たげながらもタイホウは飛び立った。 背中にヤマトの温もりを感じながら、流れていく風の中、俺は目を細めた。 宿でのあれこれに続く。