蒼天に奔る雷はどこへ墜ちるのか





ヤマトは元々、他人との過度な接触を好まない人間だった。 幼い頃から無遠慮に自分に伸ばされる権力者達の手は 酷く汚らわしく、疎ましいと思うものの1つだ。 媚びを売るように群がってくる女も嫌悪の対象だったが、 後継の問題があり、望みもしない女を宛がわれたことは幾度かある。 強制されるそれには何の感慨を抱くこともなく、 幸か不幸か、子もまだ生せてはいない。 そんなヤマトが自ら触れたいと思ったのはユキトが初めてだった。 ヤマトがユキトに対して抱く特別な想いは、 世界を改変してから現在に至るまで深まる一方で、 だがヤマトにとってユキトは唯一であるのに対して ユキトには心を許す相手がヤマト以外にも大勢存在するという現実が ヤマトの中に薄暗い何かを生んだ。 その感情が、ユキトの言う『友達』という関係を壊すものだと 薄々感づいてはいたが、自分の中からその何かを消し去ることは出来なかった。 ユキトと会えずにいた3日間。その期間はヤマトの想いを更に煮詰める結果となり、 そんな折に戻ってきた彼がヤマトの目の前で無防備に眠るものだから、 秘めていた欲望を抑えることが出来ず、 ある種の覚悟を抱いてヤマトは安らかに眠るユキトに近付いた。 例え彼から、自分が今まで他人の接触に対して抱いてきたような嫌悪の感情を 向けられることになったとしても、ヤマトはユキトに触れたかった。 ソファーに横になったユキトの身体を跨いで上体を倒し、顔を寄せる。 ユキトの唇に、ヤマトは自分の唇をそっと重ねた。 焦がれ続けてきたその唇は甘く感じた。 吐息がヤマトの唇を擽り、もっと感じたいと何度も唇を押し付けた。 目を閉じて夢中でユキトの唇を吸う。 そうしているとヤマトの唇を濡れた何かがなぞって、 ゆっくり瞼を開き名残惜しくも唇を離すと、 常日頃から美しいと感じていた蒼い瞳が自分を見つめていた。 ユキトの唇の隙間から赤い舌が覗いていて、この舌に舐められたのだと理解する。 眠りから覚め何度か瞬きをするユキトをヤマトは静かに見守った。 まだ夢現のようだが、現状を把握した瞬間、侮蔑などの負の感情が向けられるのだろう、 そう思っていたヤマトに、ユキトが見せたのは許容、だった。 友達でいたいと言いながら、友達の範疇を超えたヤマトの行為を許した。 ユキト自らも、ヤマトに口付けてくれた。 単に寝ぼけていただけなのかもしれない、それでもヤマトにとっては喜ばしいことだった。 次に目覚めた時には忘れているかもしれない、と不安を口にしてみると、 ユキトは事も無げに1つ提案し、言われた通りにそれを実行した後の彼の反応を見て ヤマトの不安は完全に消え失せた。ユキトは受け入れてくれる。 ヤマトが彼を唯一だと思うように、彼もヤマトを唯一にしてくれるのだと。 それを実感したくて、ヤマトはユキトと顔を合わせるたびに彼に口付けた。 今まで嫌悪しか抱かなかった行為も、相手がユキトであるなら酷く甘美なものに思える。 決して彼を女扱いしているわけではない。彼が誰よりも男であることを理解している。 その上で、ヤマトはユキトを欲していた。 もっと触れたい、唇だけでなく身体中に触れたい。 口を吸う合間に細い腰を撫で擦ると、びくりと身体を揺らすその仕草さえ愛おしい。 けれどユキトはするりとヤマトの腕から抜け出していく。 これより先は許さないと、はっきり告げる訳ではなく、態度で示してくる。 物足りなくはあるが、ヤマトはユキトのそれを尊重した。 今はここまででも充分だと自身を納得させる。 今までこれほどまでに欲した相手はいなかったから、ヤマトは戸惑いを感じてもいた。 ユキトはヤマトに感情というものを与えてくれる。 今まで知識としてしか知らなかったものに、実感を与えてくれる。 ユキトの存在はヤマト自身よりも大切な、掛け替えの無い存在になりつつあった。 時刻はもうすぐ23時になる。 ヤマトはジプス大阪本局の私室で、纏められた数件の報告書に目を通していた。 ポラリスに会い、実力至上主義を根底とする世界を創造した後、 ヤマトは大阪を本拠地と定めた。近いうちにここ大阪にジプスのビルを建設する予定である。 世界変革を共にした一般の協力者達がこの先どうするかは各々の判断に任せた。 その結果、それぞれ地元のジプスに身を寄せ、世界変革後もジプスに協力することになった。 ユキトは東京出身ではあったが自ら望んでヤマトと大阪に移った。 世界の安定は、まだまだ先の話になるだろう。 ユキトは毎日ターミナルを使い各地を飛び回って事態の沈静化に向けて尽力していた。 ヤマトも本来なら自分の片腕であるユキトをその様な些事に煩わせたくはないのだが、 人員不足であることは解っていたので何も言わなかった。 ヤマトの精神状態は不安定だった。原因は解っている。 今日は早朝に、ターミナルへ向かうユキトとすれ違ったきりだ。 『1日、触れていないだけでこのザマか』 ヤマトは自嘲的な笑みをひっそりと零す。 ユキトが急いでいる様子であったこと、その場に他の人間がいたこと、 そういった理由で今朝は顔を見ることは出来たが口付けることは出来なかった。 ユキトはどんなに遅い時間でも、本局に戻ってくると必ずヤマトに会いに来る。 止むを得ず戻れない時は連絡が入る。連絡が無いということは 戻るつもりはあってもまだ戻っていない、ということだ。 ヤマトは手に持っていた書類を執務机に投げ出して立ち上がり、 コートを手に取って私室のドアへ向かった。報告書の内容は少しも頭に入っていない。 ヤマトは自らの感情を持て余していた。 居住区を抜け司令室を通り過ぎ、エントランスに足を踏み入れた時、 「あ、ヤマト」 すっかり馴染んだ心地良い声が耳に届いてヤマトは立ち止まった。 「戻ったか、ユキト」 待ち望んでいた人物がエレベーターから降りてきた。片手を上げて笑いかけてくる。 ヤマトの気も知らず、ユキトは常と変わらぬ気軽さで微笑みながら歩み寄り、 「ただいま。今日ちょっと疲れたから報告、明日でいいか?」 そう言って視線を合わせるために僅かに上向く。 ヤマトはユキトの顔を注視した。確かに疲れを滲ませていてヤマトは眉を顰める。 「ヤマト?」 それをどう取ったのか、小さく首を傾げるユキトにヤマトは伝える。 「ユキト、何度も言ったと思うが君は私の片腕だ。  そんな君に雑事を任せねばならない現状が、心苦しい。」 ヤマトは距離を更に詰めて手を伸ばし、ユキトの柔らかな黒髪に指先で触れた。 ユキトは暫く黙り込んだ後、少し困ったように笑ってから言葉を紡いだ。 「自由に動けないヤマトの代わりに俺が動く、  これもちゃんとお前の片腕としての役割だと俺は思ってるけど。  適材適所ってやつだよ。俺にはヤマトがやってるような事は出来ないし、  身体を動かす方が自分には合ってる。好きでやってるんだから気にするなよ」 本人にそう言われてしまえば何も言えず、ヤマトは目を伏せて唇を噛んだ。 先の言葉に偽りは無い。だが本心を告げてもいない。 ヤマトはユキトを自分の傍に置いておきたいだけなのだということを。 「それじゃ、部屋に戻る。おやすみヤマト」 話は終わったとユキトは、ヤマトの横を通り過ぎようとした。 「ユキト」 気付けばヤマトはユキトの腕を掴んで名を呼んでいた。 「なに…―――っ!?」 そして壁際に押しやって、疑問に口を開いたユキトの唇を自らの唇で塞いだ。 「ん……っ、ぅ、ン―――っ!!」 抵抗を示すその身体を自分の身体で壁に押し付けて、口を開かせるため 顎を掴んだ手に力を込め、空いたもう片方の腕で腰を引き寄せる。 ヤマトは目を閉じて、ユキトの唇の感触をゆっくり味わった。 熱い口内に舌を捻じ込み、歯列、口蓋、を順になぞり、 縮こまったユキトの舌に絡める。溢れる唾液を啜る。 いつの間にかユキトの身体から力は抜けていた。 ヤマトを引き剥がそうとしていた腕も今は背中に回され、 手のひらであやすようにヤマトの背を撫でている。 それに気付いたことでヤマトも落ち着きを取り戻して、 閉じていた目を開きながら唇も離していった。 つ、とヤマトとユキトの唇を銀糸が繋ぐ。 はぁっ、と大きな溜息がエントランスに響いた。ユキトが零したものだ。 2人の距離は詰まったまま、ユキトが視線を合わせてくる。 どこか惑うような表情を見せた後、静かにユキトは言った。 「色々聞きたいことがある。…俺の部屋、行こう」 その申し出に、断る理由も無くヤマトは解ったと頷いた。 居住区にあるユキトが使用している部屋へと足を踏み入れる。 先に入ったユキトは着ていたパーカーを脱いでベッドに腰掛けた。 ヤマトはベッドの傍にある椅子に腰掛けてユキトと向き合う。 「それで、聞きたいこととは?」 ヤマトが促すと、ユキトは暫し沈黙した後、 「ヤマト、俺が男だってこと本当に解ってる?」 妙なことを口にした。ヤマトは僅かに首を傾げて勿論、と答える。 「ん。俺もまあ、嫌じゃないからキスとか受け入れちゃってるけど、  普通男同士ではやらないって前にも言ったよな。  ……聞くの、怖い気もするけど、ヤマトは俺に何を求めてるんだ?  お前のこと特別だって言った俺の言葉だけじゃ足りない?  俺に女の子の役割を求めてる?」 続けられたユキトの言葉に、今度は首を振ってヤマトは答える。 「君を貶める意図は私には無い。私は君だから触れたいのであって……  いや、私にそういった意図が無くとも君がそれを『女扱い』と捉え、  厭わしいと感じていたのならば謝罪しよう」 誤解が生じるのは望ましくない。ヤマトはそう思って口にしたのだが、 なんか微妙にズレてるな、という呟きがユキトの口から零れた。 その反応が不思議で眉を寄せるとユキトは苦笑して、 「ヤマトって女嫌いだったりする?」 また良く解らない質問を投げかけてきた。 ヤマトには理解出来ずとも、ユキトにとっては意味のある質問なのだろうと 少し考えてから言葉を返した。 「…率直に言うと、良い印象はあまり持っていない。  女という生き物は総じて感情的だ。有能な者がいることも認めてはいるが  積極的に関係を持とうとは思わないな」 ユキトはヤマトの返答に頷く。 「あ、やっぱりそうなんだ。  じゃあ今まで女の子と付き合ったりしたことない?」 それから更に質問を重ねた。 「付き合う、とは?」 「うーん、そこからか。  好き合う男女が一緒に遊んだりすること…かな」 「そういった意味合いであるならば経験は無い。」 「ジプスの局長やってるから、そういうの許されなかった?」 「そもそも必要としない。君が何を聞きたいのかは良く解らないが、  ………何度か義務として女と寝所を共にしたことはある。  それぞれの女とはその場限りの関係であるから、  君が言う『付き合う』というものには当て嵌まらないとは思うが」 「今さらっと凄いこと言ったな…もしかしてお家事情ってやつ?」 「そのようなものだ」 「そっか……」 ヤマトはそれに淀みなく答えていった。 ユキトは天井を見つめながら何事か考える素振りを見せている。 一連の問答を振り返ってみたが、 やはりヤマトにはそれが何を意味するのか解らなかった。 ユキトの次の言葉を黙って待っていると、 「ヤマト、手袋外して」 唐突に言われてヤマトは瞬いた。 訝しく思いながらも真剣な様子のユキトを見て、その指示に従うように ヤマトは両手を包む手袋を外してコートの内ポケットに仕舞った。 ユキトはそれを見届けてから手を伸ばしてヤマトの右手首を掴む。 そのままヤマトの手を引いて――――― 『青天の霹靂』とはこのことか、とヤマトの身体は凍りついた。 ユキトは空いたもう片方の手で自らの上着を捲り上げて、 空気に晒した素肌に、引き寄せたヤマトの手のひらを押し当てていた。 「どうぞ。触って確かめていいよ」 ユキトの声がヤマトを促す。 ヤマトの手のひらに、しっとりとした触感と熱が伝わってきた。 「経験あるみたいだから、違い、解るだろ?  この通り、軟らかい胸も無いし、骨ばってて硬い身体だ。」 ユキトが何かを言っているようだが、ヤマトはそれどころでは無かった。 確かにユキトが言うように、女とは違う。これは男の身体だ。 だが問題はそこではない。ユキトの身体に触れている、ということが ヤマトにとっては何よりも意味のあることだった。 ヤマトの手首を掴んだユキトの手の力は強くはない。 そろりと確かめるようにヤマトは手を動かす。 華奢に見えたユキトの身体は、確かに細身ではあるが程よく筋肉もついている。 軟らかすぎず、硬すぎず。汗ばんでいるのかヤマトの手のひらに吸い付くような肌。 白い肌の上、ぽつりと主張する赤い2つの飾りは女のそれとは違い小さく慎ましい。 手のひらを下へと滑らせ、やわらかな腹を撫でる。 横へずらせば細い腰。そのまま更に下へと動かした手は、強い力で止められた。 「…下も、確かめたいのだが」 「駄目」 「……………そうか」 ユキトの拒絶を残念に思いながらも、ヤマトは咎められていない上半身に再び触れた。 「……直に男の身体見て触ったら、ちょっとは目を覚ますかなって思ったんだけど。  もしかして俺、墓穴掘った?」 苦笑混じりにユキトが言う。 「君は、何か思い違いをしているようだが、  何度も言う様に私は君に触れたいのであって性別など些末な問題だ。」 ヤマトはユキトの胸の中心、鼓動を感じる場所に手のひらを置いて顔を上げた。 ユキトと視線が混ざり合う。 些末じゃないって、と困ったように笑みを浮かべて ユキトは掴んでいたヤマトの手首から手を外した。 「女扱いしてるわけじゃないって言ってたけど、  ヤマトが最終的に俺にしたいことって、そういうことじゃないのか」 静かな声でユキトが再びヤマトに問いかけてきた。 「……そう、なのだろうな。だが決して強制するつもりは無い。  お互いに望んで情を交わせるならば、嬉しいとは思うが…」 ヤマトも静かに答える。 「例えば、俺がヤマトを抱きたいって言ったらどうする?」 ユキトの口から名案だと言わんばかりに零された言葉にヤマトは目を瞠る。 考えなかった?と聞かれて頷き、だが答えは直ぐに出た。 「それも良いかもしれない。君が男である私にその気になれるなら。  私は、君と触れ合えるならば、それでも構わない。甘んじて受け入れよう」 ヤマトがそう口にした直後、どくん、とユキトの心臓が跳ねたのを ヤマトの手のひらが感じ取った。微かにユキトの頬が赤らんでいる。 「―――――っ、参った。参りました!」 突然声を上げて立ち上がったユキトは正面に座るヤマトを抱き締めてきた。 胸に抱え込まれて、衣服越しにユキトの速くなった鼓動を聴く。 「ヤマトの気持ちは痛い程良く解った。  解ったけど、俺、こういう気持ち自体初めてだからさ、  今すぐどうこうってのは無理。  出来れば俺が自然にそうしたいって思えるようになるまで  待ってもらえると嬉しいんだけど」 ユキトの『初めて』だという言葉に、ヤマトは満たされた。 自分と全く同じではなくても、ユキトはいつか答えてくれると言っている。 「……ユキト、私も1つ確認したいことがあるのだが」 ヤマトはずっと気になっていたことを聞いてみることにした。 「何?」 「君は志島と随分仲が良いが、彼とはこういったことをしないのか?」 「しない。言っただろ、友達同士ですることじゃないって!  付き合い長いけど、本当にそういう気持ちはお互いに無いよ」 「では、こうして口付けるのも、触れ合うのも、私だけだと?」 「キスも、こんな触り方されるのも、ヤマトが初めてです!感謝しろ!」 「………ああ、そうか」 ユキトの答えにヤマトは満足した。自らも腕をユキトの腰に回して強く抱き締める。 温もりが手放しがたい、もう少しこうしていたいと思ったが、 エントランスで疲れたと口にしていたことを思い出し、ヤマトは回していた腕を緩めた。 ユキトも合わせるように身体を少し離す。 「あ、悪い。俺汗臭かったんじゃないか?」 「君の匂いだ、私にとっては芳しい」 「それアウト。変態っぽい」 謝罪されたことに対して不要だと告げたつもりだったが、 ユキトは微妙な顔をしてヤマトを咎めてきた。 うまく伝わらないものだなと思いながらヤマトは立ち上がる。 「では、そろそろ失礼する。長居してしまってすまない」 「ヤマトが謝る必要はないだろ、俺が誘ったんだし。こっちこそ色々聞いたりして悪かった」 「いや、君と過ごす時間は私にとっていつも有意義なものだ。君と話せて良かった。」 「……ホント、お前って……ま、いいか。おやすみヤマト、また明日」 「ああ、良い夢を」 挨拶を交わして部屋を出た。 今日最後に見たユキトの表情は、微かに目元を紅く染めた笑顔だった。 私室へと足を運びながら、手のひらを見る。 僅かに残る熱と感触に思いを馳せる。 良い夢が見れそうだとヤマトはひっそりと微笑んだ。 局長視点も書いてみたいと思って書いたけど難産でした。 どんどんヤマトが大変なことになりつつ、自ら墓穴を掘る主人公。 でもほっとくとヤマト、ヤンデレ化しそうなので、 うまい具合に主人公はそれを回避していたのでした。