それはきっと何より大切な





口元に温かく柔い何かが重なっている。 それは飽きもせず擦り合わせたり吸ったりしていて、 なんだか必死な動きだなとぼんやり感じながら俺の意識はゆっくり浮上した。 うっすらと瞼を開いた視界に飛び込んできたのは銀色。 伏せた長い睫毛と、さらさらと落ちている髪。 間違いなく、友達と記憶している峰津院大和の顔だった。 ヤマトは男で自分も男。 少なくとも同性間で行うスキンシップではない。 これが頬などであれば日本人としては過度ではあるが挨拶で済む。 だが今俺は、俺とヤマトはお互いの唇を重ねている。 ハッキリ言ってしまえばキスしている。 しかもこれは寝込みを襲われている状態だ。 そこまで考えてやっと俺は、いつの間にか寝落ちしていた事に気付いた。 ここはヤマトの私室で、居間のふかふかのソファーの上。 野良悪魔の討伐任務から3日ぶりに戻ってきて、 時刻は日付を越えた深夜、ヤマトは私室に戻っているとのことだったので、 ヤマトがまだ起きているなら顔を見てから寝るかと軽い気持ちで足を運んだ。 ノック1つ声をかけた俺を、まだ起きていたヤマトがご苦労だったと労いながら 部屋へと入るよう促されたので、ついでに報告もしてしまえとすっかり慣れた ヤマトの私室に入り込んで、ヤマトが手ずから淹れてくれたお茶を飲みながら 報告しているうちに、座っていたソファーの心地良さにとろとろと瞼が落ちてきて、 覚えているのはここまでだった。 ヤマトの目の前で俺は完全に眠りに落ちていたらしい。 まだ夢うつつのままだが目覚めた俺に気付かずにヤマトは唇を押し付けている。 その唇が少しかさついている気がして、何も考えず小さく舌を出してなぞってみると びくりとヤマトの身体が僅かに震えた。瞼に隠されていた色素の薄い瞳が現れる。 唇が離れて、熱い吐息が濡れた俺の唇に当たった。 ヤマトはじっと俺を見つめている。 俺も寝ぼけ眼のまま、ぼうっと眺めながら、何してる、と問いかけると、 口付けていた、と答える低く掠れた声。 「俺、ヤマトのこと友達と思ってたんだけど」 「ああ。知っている」 「友達で、しかも男同士でキスはしないものだと思ってるんだけど」 「世間一般の常識ではそのようだな」 とりあえず、そういう常識は知っているらしいことに少しだけほっとしつつ、 現在の状況を考えると少しも安心できない事実にも同時に気付いた。 さてどうするか。なんとなくこのままだと新しい世界を覗くことになりそうだ。 なんて暢気に考えるぐらい、俺はまだ眠かった。 眠ってしまうと取り返しがつかない事態に陥りそうなので 必死に我慢して無駄に整ったヤマトの顔を見上げた。 ヤマトの形の良い眉が寄せられて眉間に深い皺が刻まれている。 躊躇うように何度か唇が震えて、だがいつも通りの凛とした声を響かせた。 「この3日間、ずっと君のことを考えていた。  私にとって君という存在は替えのきかない唯一のものだ。  それを友達と名付けるなら、君が私にとってただ1人の友達だ。  君は私の片腕であり、同じ場所に立つ者であり、私が初めて心から欲した人間だ」 一息に告げて、だが、と声を潜めたヤマトは俺の頬をぎこちなく撫でた。 「君にとっての私は、私が君を想う程には特別でないことを、理解している。  君が友達と呼ぶ相手は多く、私はその中の1人でしかないのだろう」 悔しげに唇を噛んで呟いたヤマトの顔を、歳相応の少年の顔を、俺は静かな気持ちで見ていた。 「このような思考が時間の無駄でしかないことは解っていたが私は考え続けた。  そうしているうちに、君が戻った。そして君は私の前で無防備に眠りに落ちた。  眠る君を見ているうちに、思った。私は君にとっての唯一になりたい。  唯一であるならば、感情の方向はどちらでも構わないと。  だから口付けた。君に、触れたかった。  私にとって君に触れることは喜びだが、それで君が私を嫌悪するのなら、それでもいい」 そこまで言い切って、ヤマトは口を閉じた。 相変わらず俺の身体を跨いで見下ろす体勢のまま、俺の言葉を待つように真っ直ぐに見つめてくる。 多少驚きはしたものの、ヤマトとのキスに嫌悪感は無かった。 それはつまり、俺がヤマトに感じていたものは、ただの友情ではなかったということで。 「……俺、お前とは友達でいたいよ」 無意識にそう呟いていた俺をヤマトは黙って見つめてくる。その表情には諦観のようなものが滲んでいて、 そんな顔をさせたいわけじゃないんだけどな、と俺は言葉を付け足す。 「だってさ、お前は気付いてないみたいだけど、  俺の中の優先順位、とっくの昔にヤマトが一番になってるんだ。  言わなかったけど、お前の手をとったのだって実力主義に賛成だったわけじゃない。  ただ、お前の力になりたかっただけなんだから」 ヤマトの目が見開かれる。俺の告白は意外だったらしい。 軽く笑みを浮かべて俺は続ける。 「今でさえヤマト贔屓なのに、これ以上になったら困る。  友達と呼べなくなったら、なんていうか、どこまでも落ちていきそうで怖いよ。  ヤマトとなら、どんなことになっても構わないと思える自分が、怖いんだ」 そして、コートを脱いだだけの黒いシャツ姿のヤマトの、無駄に長いネクタイを掴んで引き寄せて、 自らも少し頭を浮かせて、何かを言おうとしたヤマトの唇を自分のそれで塞いだ。 お互い口が僅かに開いていた為、自然と重なりは深くなる。 ちゅ、とリップ音を立てて唇を離せば、追いかけるように再びヤマトの方から唇が重ねられた。 頭がふかふかのソファーに落ちる。 躊躇いがちに挿し入れてきたヤマトの舌に、俺もそっと自分の舌を擦り付けた。 角度を変えて、呼吸を奪うように好き勝手に俺の口内を舌で荒らしまわった後、 漸く解放された時には酸欠と睡魔で限界だった。 大きく息を吐き出して見上げたヤマトの顔は、何と言うか物凄く色っぽい。 多分ヤマトは満足していないだろうが、今日の所は我慢してもらおうと 俺は腕を伸ばしてヤマトの身体を抱き寄せた。 耳元で俺の名前を熱っぽく呼ぶヤマトに眠いと呟けば、小さく笑ったような気配。 「ベッドに移動できるか?」 随分と優しいヤマトの声に、無理だと頭を横に振って答えれば、ぎゅうと痛い程抱き締められて、 「この分だと、目覚めれば君は全て忘れているかもしれんな」 そう自嘲気味に言われて、 「なら、目が覚めたらまたキスしろよ。そうしたらきっと、思い出す」 深く考えずに俺はヤマトに告げていた。 ヤマトの身体が安心したように弛緩して、ああそうしよう、と嬉しそうな声が聞こえた。 ぽんぽんとあやすようにヤマトの背中を軽く叩いてから、俺は目を閉じる。 最後に、おやすみ、というヤマトの声が耳に届いた。 目覚めるとベッドの上。 時刻は既に昼時で、様子を見に戻ってきたヤマトにとびきり濃厚なキスをされた。 おはようと満足気に笑うヤマトに、ああ夢じゃなかったんだなと少しだけ気が遠くなりつつ、 結局ヤマトに甘い俺は、ヤマトが幸せならそれでいいかと、 おはようと起床の挨拶を交わしたのだった。 色々拗らせた局長の話。