愛というもの 2



 

あのランサーの告白劇から数日。
表面上は、俺とランサーの関係は全然変わっていなかった。
あの出来事がまるで無かったかのように。
無かったことには、少なくとも俺にはもう、出来ない。
焦燥感は日に日に募る。
ただ、俺の気持ちの変化に気付いていながら、わざとランサーが動かないのだとしたら。
そう思うと面白くは無かったので、俺も何も見せなかった。
考えてみればランサーは俺の答えを待っている状態なのだから、
本当は俺から動くべきなのだろうが。



そうして一週間後。事は動いた。



「…まさか、寝込みを襲われることになるとは…考えてなかった。」

霊体化して部屋に入り、ベッドの上、俺に覆い被さった所で実体化したのだろう。
俺は勿論、そうなるまで、気付かなかった。
平和ぼけしたな、と思う。

「待つつもり、だったんだがな。オレの根負けだ、坊主。」
俺を抱きしめながらランサーが溜息混じりに耳元で言う。

「それは良かった。俺、アンタが動かないかぎりは、動くつもり無かったからな。」
「…だろうと思った。ならオレもと坊主の行動を待ってみたんだが。
 なんだ、こういうのは、惚れた方が負けってヤツか。」
俺の返答にランサーは苦笑を滲ませながら答えてきて。
改めて少し身体を離し、俺を上から覗き込んできた。
「で、返答は、聞かせてくれんのか?坊主。」
ランサーの問いかけ。
俺は一度目を閉じ。開いて。
「こうやって、俺に構ってくる、俺に惚れたとか言うランサーは、
 ここにいるアンタだけで。消えればそれまで。
 もう会えないんだって思ったら、寂しく感じた。
 ……答えに、なってるか?これ。」
俺は自分が感じた、ただひとつを、ランサーに告げた。
「…それは、他のサーヴァント連中にも当てはまるんじゃねぇのか。」
ランサーが聞き返してくる。
「確かにそうかもしれない。
 でも、残念だとは思うけど、寂しく感じるのは…アンタだけだ、ランサー。」
見下ろしてくるランサーの目を、真っ直ぐに見据える。
ランサーは、ふ、と目を細めて笑って。
「ぎりぎり及第点、だな。」
そう言って俺の額に口付けてきた。
「それは、手厳しいな。」
ランサーの言葉に俺も緩く笑う。

ランサーの唇が、額から鼻梁を通り、俺の唇へ降りてきたところで。
「ちょっと待った。」
俺はランサーの唇に手をあてて、その行動を止めた。
「何だよ。今更逃がす気は無ぇぞ。」
声を低めて俺の手を掴み、舐めてくるランサーに、
「別に俺も、逃げるつもりは無い。確認したいだけだ。
 俺はアーチャーとラインが繋がってる。
 そういう状態になってる事、あいつに筒抜けになるんじゃないのか?」
マスターとサーヴァントの関係上、お互いに、相手の異変は何らかの形で伝わるはずだ。
それが、俺は気になっていた。
「…成程。懸念はそれか。確かにバレるだろうな。」
ランサーが頷く。
「それは困る。俺はそこまで悪趣味じゃない。」
そう俺が言えば。
「いっそ切っちまえばいいんじゃねぇか、契約。」
そんな風にランサーが言ってくるので、俺は間髪いれずに、馬鹿言うなと返す。

「…要するに、バレなきゃいいわけか。」
ランサーが何かを考えるように顎に手をあてる。

…確かにその通りなんだが。ちょっと妙な気分になる。

「そういや、奴の気配、この教会の近辺には無いな。」
ふと気付いたようにランサーが言う。
「ああ。あいつ、俺に色々思うところがあるらしくて。夜は教会を離れてることが多い。」
俺はそう答えた。

アーチャーにとって、俺の存在は複雑極まりないらしい。
俺が眠ると、俺の記憶だとかがラインを通してアーチャーによく流れているようで、
それをあまり見たくは無い、と言ってきて。
物理的に離れていれば、極力見ずに済むとのことなので、弓兵の単独行動スキルもあるし、
夜中は好きにさせている。…俺も、あまり自分の記憶を見られたくはないし。

「ふ…ん。ま、好都合か。こっちとしても、余計な邪魔は入って欲しくねぇしな……」
ランサーはそう言って、徐に空間から赤槍を出現させて手にとり、ぶん、と軽く振った。
「っ、何やって…」
「いいから黙ってろ。」
俺の声を制して、ランサーは槍の穂先で自らの指先を傷つけ、
血を滲ませたその指を、俺の額に当ててきた。
何か文字のようなものを、俺の額に書いて――。

『isa−』

ランサーの呟きと共に、俺の身体から、がくんと力が抜けた。

「ラン、サー?」
訝しげに俺が名を呼んでも、ランサーは口元に少し笑みを浮かべるだけ。
そして次は、ベッドの四隅。順にランサーの血に濡れた槍の穂先で、
空間に文字を描いていく。描くたびに、音も乗せて。

『purisaz hagalaz naupiz isa−……』

ランサーが言い終えた瞬間。
周りの空気が変わったような気が、した。
切り離されたような。

「説明ぐらい、しろ。」
再度、俺が訊くと。
「この上だけ、外と切り離した。坊主にもかけたのは、まぁ保険みたいなもんだ。
 暫くの間、誰にも気付かれずに済む。そのかわり、オマエの逃げ道も無くなったわけだが。
 ……逃がす気は無ぇってさっき、言っといたし、問題無いだろ。」
ランサーはベッドを指差しながらそう答えて。
つ、と俺の唇を指でなぞってきた。
「…こういうことは、一言、断ってから、しろよな。
 それに、さっき、逃げるつもりは無いって、俺、アンタに言っただろ。」
はぁ、と小さく息をついて、俺はランサーを見た。
「しかし、まさかコレが効くとはなァ。坊主、魔術抵抗力、無いな。」
ランサーがからかうように言ってくる。
そうだな。そのせいで、キャスターの術にかかったこともあったなと、
俺は反論できずに、む、と唸った。

「…色々、してやる。途中で逃げたくなった時、その状態なら、諦めつくだろ。
 これで誰かに気付かれることも無ぇんだし、受け入れろ。多少力が入らない程度だ、違うか?」

ランサーがそう言って軽く笑う。
確かに、身体の自由が奪われた感じではなく、気だるいだけ。
俺は腕を持ち上げて、ランサーの背にまわして。
「…わかった。諦めて……おとなしく、アンタに抱かれて、やる。」
そう小さく告げた。
目の前にあるランサーの赤い瞳が、嬉しそうな色を滲ませる。
それを見て、妙に恥ずかしくなって、俺は少し視線を泳がせた。



ランサーの唇が降りてくる。
唇と唇が重なって、初めは啄むように、徐々に深く。
舌で唇を舐められ、促されて口を開けば咥内に潜り込んでくるランサーの舌。
なかを這い回るその感覚に、身体の奥からぞくんと痺れが走る。
深く唇を重ねたまま、ランサーの手のひらが俺の身体の形を確かめるように撫でてくる。
時折、敏感な部分を撫でられて身体が小さく跳ねる。
ランサーの手は、俺の下肢、息づく中心まで降りてきた。
衣服ごしに軽く手のひらで包むように触れてきて――
「…ぁ」
微かに声が零れた。
ランサーが重ねていた唇を離して。
「…そういやぁ坊主。オマエ、女との経験は流石に無い、か?
 一応、神父の息子、だしな……。」
そんなことを、確認してくる。
「…悪かったな。一応聖職者の子供だからな。…経験なんて、無い。」
俺は正直に答えた。隠しても仕方の無いことだ。
女性経験どころか、自分自身を慰めることだって、それほど熱心にやったことは無い。
「いいのか、女を抱いたこともねぇのに、男に犯されて。」
「……今更、訊くか?それ。俺を逃がす気も、無いくせにさ。」
「そりゃそうだが……。」
そこまで言って、ランサーは何かを思い付いたかのように、ひとつ頷くと。
「こっちも粘膜には違いねぇし、多分似てるだろ。」
そう言って身体を移動させて。
「ラン、サー、何する気だ…?」
俺は嫌な予感がして、力の入らない身体、上半身をなんとか起こした。
俺の行動には目も向けず、ランサーは俺のズボンに手をかけ、
下穿きと一緒に一気に引きずりおろしてきた。
剥き出しになった下肢にひやりとした空気が触れる。
すぐにそこに、生暖かい空気、息が、かかって―――
「ま、待てっ、ランサー、っ!!」
慌てて呼びかけた声は途中で息を呑むものに変わった。
俺の中心は、手で掴まれ、ランサーの咥内に、消えていた。
「っ…」
ぞわりと体中に痺れが走る。
熱い。濡れた粘膜、蠢く舌が俺の中心をなぞり、舐る。
ぢゅ、と粘音を立てて吸われて、腰が震える。
ランサーの指が、根元を擽り、時折強く圧してくる。
「ぁ…っ、ん、ん……っ、」
唇を噛み締めて堪えようとしても、無駄なことをと言わんばかりに、
ランサーは俺を煽る。
少し目を伏せて、俺の中心を銜え込んでいたランサーの、
欲に融けた赤い瞳が、ふいに俺を見上げてきた。
視線が合う。挑発するように目を細めて、一度咥内から俺の熱を出すと、
見せ付けるように、べろりと根元から先端までを舌で舐めあげてきた。
「は……っァ」
のぼりつめそうになるほどの快楽を固く目を閉じて、何とかやりすごす。
「結構、我慢強いな、坊主。イっちまってもかまわねぇのに。」
く、と喉奥で笑うランサー。
「も、よせっ…」
俺は両手でランサーの頭を掴んで引き剥がそうとした。が、
腕に力は入らない。ランサーの髪を掻き混ぜるだけ。
「強請ってる、みてぇだぞ。」
なら応えてやらねぇとな。
そんなことを言って、またランサーは俺の中心を、銜えてきた。
「…ゃう」
妙な声が出てしまい、顔が熱くなる。
ランサーが俺の中心を銜えながら笑う。
その振動が、また新たな刺激になって。

「わら、うなっ、っん」
「ン、遠慮すんな。イイ声じゃ、ねぇか。」
「しゃべん、なっ」

ランサーが話すたび、そこに歯があたって、たまらない。
だんだん理性も融けてきて。

「はっ、っぁ…はぁっ、…っぅ…?」
快楽だけだった中に、違うものが混ざる。
異物感。俺のなかで蠢く何か。
俺からはランサーの頭しか見えない。見えない奥、で。
多分、指が、俺のなかに入っている。
それは、なかを解すようにゆるゆると動く。
痛みはそれ程感じない。ただ、異物感がある。
それは中心へ与えられる快楽に、だんだん紛れていく。
何を、とは訊かなかった。
抱かれるってことは、繋がるということ。
男の俺が、男を受け入れるには。使うのはここしか、無い。
俺はランサーを受け入れると決めたから。
目を閉じて、その感覚に、耐えた。
なかを侵す指が増やされていく。
何本呑み込んでいるかなど、知りたくない。
「ふ……ぅ…ぁ…っ、あ…」
時折、物凄く感じる部分を擦られる。
そのたび堪えきれない声が零れて。
俺の中心はランサーの咥内に呑まれたまま。
渦巻く快楽を押しとどめるのは、そろそろ限界だった。
「ラン、サーっ、も…離、せ…っ」
そう言ってくしゃりとランサーの髪を掴むが、
ランサーは離れるどころか、さらに深く俺の熱を銜え込んで、
じゅ、と強く吸われ、て、

「…ひ…っあ、あぁァっ…!!」

腰が震えて。
俺は声をあげながら、堪えきれずに熱を、吐き出した。
ランサーの咥内に。
ランサーはそれを、ごくんと音を立てて呑み込む。
全て、余さず。

ようやく俺の中心が、解放される。
それとともに、後孔を侵していた指も、引き抜かれた。

「は、っはぁっ、ぁ…」
呼吸を整える俺の目に、ランサーが、自分の口端に垂れた俺の白濁を、
指で拭い舐めとる姿が映った。
恥ずかしくなって、俺は腕をあげ、顔を隠して後ろに倒れ込んだ。
「どうした坊主。」
ランサーが訝しげに訊いてくる。
「…悪い。口の、なか……で、俺…」
小さな声でそれだけ、言った。
暫しの沈黙の後。
「別に、坊主が謝ることじゃねぇだろ。オレがそう、促したんだしな。」
笑い混じりのランサーの声が届いた。
そうだとしても、俺が恥ずかしいことに変わりは無い。

「先に出しときゃ、いい具合に力も抜けんだろ。」

その言葉と、衣擦れの音は、同時。
腕をどけてランサーを見れば、ランサーは前を寛げていて。
直視できず、俺は咄嗟に顔を背ける。
正直、本当に受け入れられるのか、一気に不安になった。
はっきりいってしまえば、腰が引けた。
俺の心情などわかっているだろうランサーは、あえて何も言わず、
俺の両脚を掴み、抱えて、身体を倒してくる。
後孔にあてがわれたランサーの熱が、どくんと脈うっているのが、わかった。
咥内に溜まった唾液を飲み込む。
身体が少し震えていて、情けない。
力は入らない。熱を吐き出した為だけでなく、ランサーにかけられた魔術が効いているんだろう。
それは、多分、ランサーを受け入れるには、幸運なことだと思う。
ランサーはここまで見越していたのかもしれない。
何度か後孔に熱を擦り付けられる。ぬるりとした感覚。
それはランサーのものだけでなく、きっと俺の零したものも含まれていて。

「…息、吐け。」

ランサーの熱を含んだ声。促されるままに、俺はゆっくり息を吐いて――

「は…ぁ、っあ、あ、っああ……!!!」

吐く息は悲鳴のようなものに変わる。
ぎち、と音を立ててランサーの熱が、俺のなかに、少しずつ入り込んでく、る。

「あ、っく、ァっ、づぅ…っ」

裂かれるような痛み。
身体に力が入らないせいで、どうやって耐えればいいのかわからない。
どうやって、痛みを流せば――
俺の腰を掴むランサーの手、腕に、縋るように手を伸ばして、かり、と力なく引っ掻く。

「っ、く…」

苦しそうなランサーのくぐもった声。
ああ、そうか。きついのは、俺だけじゃ、ないのか。
それがわかると、ほんの少し楽になった気がした。

お互いに苦しい思いをしてまで、身体を繋げる、意味。それは……


「は、全部、入ったぜ…」
ゆる、と俺の腰を撫でてランサーが言ってくる。
動きが止まったことはわかった。
だが、痛みはそのまま、呼吸することさえ辛くて。
「…って、坊主、呼吸しろ。」
言われて初めて自分が息を止めていたことに気付いて。
は、と息を吐いた途端、じりじりと、痛みが思考を支配した。

「つ…っう……っ」
目尻からなにかが零れる。
それをランサーの指が拭い取った。

「…まぁ、痛ぇだろうな。」
ぽつりと呟くランサー。
その声に、罪悪感のようなものは感じられない。
ただ事実を言っただけ。
それが、すごくこの男らしいと思って。
ああ、そういうところは、俺、好きだなと、思って。
口元が緩むのを感じた。
ランサーがそんな俺を見て不思議そうな顔をする。
俺は腕を持ち上げてランサーの背にまわそうとして、
それに気付いたランサーが俺の腕をとって、自らの背に導いてくれる。

「っ、ラン、サー……動け、よ。」
掠れた声でランサーに告げる。
「…手加減、する気は無ぇぞ。」
そんなことを言ってきたランサーに、俺は笑う。
「はじめ、から、わかってる…」
痛みに耐えて、力の入らない腕でランサーに縋って。
「……煽ったこと、後悔するなよ。」
ランサーも、そう言って笑った。

そして、ぐ、と強く、突き上げてきた。

「っぐ、ぅ」
「つ…っ」

口から零れた声はどちらも苦痛の色を滲ませて。
それでもランサーは、俺の腰を掴んで、揺さぶってきた。

「っ、ぅ、ァっ、っ」
それに合わせて俺は声を上げる。
痛みと熱しか感じない。
殆ど乱されないままだったシャツを捲りあげられて、
露わになった胸にランサーが唇を押し当てて、歯を立ててくる。
胸の赤い尖りを弄られると、ぞく、と何かが身体のなかを走った。
それは小さな快楽の芽。
見逃さずにランサーは尖りを口に含み、吸い上げ、舐り、甘く噛んできて、
ランサーの咥内で、舌で転がされて―――。
「あ、っん…っゃ、ま…てっ……ァ」
貫かれた後孔の痛みはそのままに。
胸に与えられる快楽で、力を失っていた俺の中心が再び熱を持ち始める。

信じられない、こんな、感じるなんて……!

「なか、弛んできたの、解るか?」

俺の胸から顔を上げて、ランサーが言ってくるのに、俺はただ頭を振った。

「待ってろ、なかでも、感じさせて、やる。」

ランサーのその言葉を頭が理解するよりも、身体が理解する方が、先だった。

「っあ!」
「ここ、だろ。」
「ぁや…っっ!?」

指で解されていた時にも感じた部分を、ランサーの熱が、そこだけを狙って、抉ってくるのが、
たまらなく、感じて。わけもなく叫びだしたくなるほどで。
ランサーの動きは止まらない。
壊れたように、俺は声を、あげた。

「っあ、はっ、はぁっ、あ、あ…っ、も…っ」
直接触れられてもいない俺の中心は、高まりきっていて、限界を訴える。
「…っ、ああ、イけよ。」
ランサーはそう言うと、徐に俺の中心を掴み、強く扱きあげると同時に、
ぐちゅんと音をたてて、最奥まで一気にその熱を、突き入れてきた。

「っあああぁっっ!!」

目の前が、白く弾ける様な、快楽。
声をあげて、俺は、達した。
どくどくと吐き出した白濁が、俺の腹や胸だけでなく、ランサーの腹にも飛び散る。

そして、ランサーも少し遅れて――。
「く……っぅ、」
くぐもった声と共に、俺のなかに、欲を吐き出した。
注がれる熱に、ひくりと俺の身体が、震えた。





身体を渦巻いていた熱が、少しずつおさまってくる。
そうすると、高ぶっていた心まで、静まっていった。
息を整えながら、思う。
やっぱり、この行為に、意味など無い、と。
こうして熱を与えあっている間だけは、確かに何かがあるのかもしれない。
それでも、終わってしまえば、何も残らない。
この行為でついた傷だって、すぐに癒えるようなもので。

何も、残らない。
いや、違う。
ランサーは、何も、残さない。
残るかもしれないものは、頼りない俺自身の記憶だけで。
その、初めから解りきった事実が、なんで、こんなにも―――痛い?

「…何、泣いてんだよ、坊主。」

身体はまだ、繋がったまま。
ランサーが手のひらを俺の頬に這わせて、拭ってくる。
視界がやたら悪いと思っていたが、俺は泣いていたのかと他人事のように思う。
「っ…くそっ、」
毒づいて、俺は右手を持ち上げて顔を乱暴に拭う。

自分がこんなに女々しいなんて、思ってなかった。
誤魔化せない。
俺は、ランサーが近いうちに消えてしまうことが、嫌だった。
何も永遠を望んでいるわけじゃ、ないけれど。

「…もう、終わったんだろ。早く、抜けよ。」
出来るだけ、感情を乗せずに、俺はランサーに言った。
右手で顔を覆ったまま。

ランサーは動かない。
それどころか――

「っあ、っ、ちょ、なに、やっ、てっ…んっ」
ランサーは緩やかに、腰を揺らしてきた。
与えられる弱い快楽に、抗えなくなる。

「っ、ん、んっ、」
「オレに言いたい事、あるんだろ?吐いち、まえよ。」

ランサーが俺を促す。
俺は一度、唇を噛み締めて。

「なん、で、何も残さない、くせに。
 アンタにとっては、無かったことに、なる、のに。
 俺だけ、こんな、気付かされてっ……、
 気付くんじゃ、なかった。気付きたく、なかった!
 そうすれば、俺は、きっと、笑ってアンタを、還すことが、出来た、のに…!!」

吐き出した。
一度口から出てしまえば、止まらなかった。
情けなくて、泣けてくる。
全部、この男が、悪い……!!

俺が吐き出した言葉を受けて、ランサーは、俺を揺さぶっていた動きを、止めた。
じっと、俺を上から見下ろしてくる。
その貌は、真剣で。


「……なぁ、士郎。」

名前、を、呼ばれて。俺は息を、呑む。

「出逢いがあれば、必ず別れってのはある。それが、生きてるってことだろうが。
 オマエだって、それは、解ってんだろ?」
「…それぐらい、解ってる……」
「なら、さっきオマエが言った、『何も残さない』『無かったことになる』だったか。
 無かったことになるってのは、確かにオレに関しては、その通りだな。
 オマエに惚れたことは、この感情は、今回かぎりのことだ。
 それでも、感情が残らなくても、起きた事実は、記録に残る。
 残るんだよ。既に、生きた存在じゃねぇオレでもな。
 それなら、今生きてるオマエの中には、オレ以上に残るモノがあるはずだ。
 なぁ、ホントに何も残ってねぇのか、オマエの中に。」

真っ直ぐに言われて、逃げられなくなる。

「っ、そうだよ、残ったよ、だからこんな、頭の中ぐちゃぐちゃなんだ。
 アンタのせいで……っ、」
感情のまま、ぶちまける。
もう構うものかと、俺はランサーを強く見据えた。
ランサーは、ひとつ、息を吐いて、
「…そんなに、オレが近いうちに消えることが納得いかねぇか、
 オレと、居たいか?………いっそ、連れて行ってやろうか。」
そう、口にする。
「…え?」
「オマエが望むんなら、この心臓、オレが貰い受けてやってもいいぜ。」
ランサーが、俺の心臓の上に手のひらをあてて、圧してきた。
「冗談、誰がやるか、馬鹿。」
考える必要も無い答え。
死ねばそれまで。俺が望むのは、そんなことじゃない。
ランサーは、俺の即答に、満足そうに笑った。
「ハ、それでこそ坊主だ。良かったぜ。
 今のオマエにそれを望まれりゃあ叶えてやりたくなる。
 オレとしては、そんな別れなんざゴメンだからな。」
ランサーはそんな風に言ってくる。
「…俺が望めば、アンタは俺を、殺したのか?」
俺は純粋な疑問をぶつけた。
「ああ、殺してやるさ。まぁどうせやるなら、闘いの中でってのが理想だがな。」
それがランサーの答え。
俺はこの返答に、ランサーの在り方を見た気がした。

ランサーが身体を倒してきて、きつく俺を抱き締めてくる。
「…オマエを殺さず、別れを迎えられんなら、願ったりだ。」
妙にしみじみとそんなことをランサーが言ってくるので。
「…ランサー、アンタってそんなに、死に別ればっかりしてきたのか?」
軽く俺が訊くと、まぁなとランサーも軽く答えてくる。

気持ちを全部吐き出してランサーにぶつけたことと、
今の一連のやり取りのおかげか、ぐちゃぐちゃだった俺の頭の中は大分落ち着いていた。


多分、一番効いたのは、ランサーの中にも残る何かがある、ということ。


落ち着いてくると、まだ繋がったまま、という事実に今更気付いて。
自分のなかで、熱く脈打つランサーのそれが、はっきりと解る。
また、ランサーの熱に、呑まれたいと、思った。

「…まだ、俺にかけた、魔術?…効いてるよな。」
俺はランサーにそう訊いていた。
ランサーは身体を起こし、俺を見てくる。
そして。
「ああ。夜が明けるくらいまでは、保つだろ。」
そう口元に笑みを浮かべて、言った。

「なら……それまで、抱いて、くれ、ランサー。」
「坊主に言われるまでも、ねぇな。」

俺は自然に笑えたと思う。
重ねられる唇を、身体を、受け止める。


『たとえ記憶が薄れて、忘れたとしても。起きた事実は変わらねぇだろ?
 それなら、何らかの形で、身体のどこかに、それは刻み込まれてるハズだ。
 目に見えなくても、気付かなくてもな。ちゃんと、残るんだよ。
 残るモノがあるなら、別れってのもたいしたことじゃない。』

ランサーの言葉。
そんなこと、俺はとっくにわかっていたはずなのに、
言われてやっと、本当にわかった気がする。
そうだな、ランサー。
こうして刻み込まれたものは無くならない。
忘れても、確かに残るんだ。
それなら、身体を重ねて抱き合うことにも意味は、あった。
ランサーがこの後、いつ消えたとしても。
俺はもう悔やまない。
いつか記憶は薄れていく。
それでも生きて、そうして、死に際に、
幻の様な存在を、好きになったそのことを、少しでも思い出せたなら。
俺はもう、それで、いい。
別れを哀しむんじゃなくて、出逢えたことを、喜ぼう。


俺は覆い被さるランサーを見る。
記憶以外のどこかにも、しっかり刻み付けるように、ランサーに触れる。

「ランサー、俺、アンタのことが、好きだ。」
簡単に言葉は零れた。
この気持ちが、きっと、『惚れる』ってことなんだなと、思いながら。
ランサーはそんな俺に笑いかけて。
「ああ、オレも、坊主に惚れてる。」
そう言って俺を引き寄せて、唇を甘く吸ってきた。

「嬉しいぜ、ちゃんとオマエが気付いて、応えてくれてな。」
「おかげで情けない姿、見せるハメになった。」
「オレとしちゃ、可愛い姿だったが。」
「っ、最悪だ…」

ふいと顔を背けた俺を見て愉しそうに笑いながら、ランサーが俺の目尻を舐めてくる。

本音を言えば、忘れたくはない。
ランサーのことも、気付いた自分の感情も。
けれど、ランサーが忘れるのに、俺だけ覚えているのも、腹立たしくて。
だからランサーが消えてしまった後はさっさと忘れてやりたいとも思う。
我ながら、妙な意地だ。

自分でも見えない、解らないような傷が、この身体に、沢山つけばいい。
目に見えない痛みで、ランサーのことを思い出せるように。



夜明けまで。
俺とランサーは、互いの熱を交わしあった。

ランサーは、俺の全てを、暴いていった。


この夜を、俺は身体に刻み込む。
消えない、癒えない傷跡になるように。









『静止』
『境界 分離 制限 静止』 魔術の意味。

なんとなく言峰士郎のテーマが『別れ』になってました。
自分から望んでサーヴァント連中を現界させた分、別れは辛いんじゃないかなと。
あと、なんか自分の内面に気付いた途端、殻が壊れたというか、おかしいな。
言峰士郎はどうやら欠けたものに気付かなかったから、強かったようです。
ランサーはそのことに薄々気付いてて、内面から攻めていきました。
自分への想いが消えない傷になるように。
これ、強引に身体から入っていたら、殻は壊れないままだったかと思います。
ランサーの勝ちってことで。
コトシロさんでシリアス書くと、切なくなるなぁ。
ちなみに、お初です。女性経験もありません、コトシロさん。
ぐるぐる悩み、書き終えるまで長かった……!!

















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