愛というもの 1
「何やってんだ、坊主。」
ランサーが俺の手元を覗いてくる。
自室で俺は、机に向かっていた。
書類の束に目を通したり、サインをしたり。
「…ランサー。部屋に入ってくるならノックぐらいしろよ。」
無断で入ってきたランサーを咎める。…無駄、だろうが。
案の定ランサーは、にやりと笑うだけ。
俺はひとつ、溜息をついて。
「偽装工作。綺礼が死んだことが知れたら色々面倒だ。
聖杯戦争は一応まだ続行中ってことにしているし。
代理の監督役を寄越されることになると拙い。
ここにはサーヴァントが三人も集まっているし、見つかったら誤魔化せない。」
そう答えた。
綺礼の不在はなんとしても隠さなければ。
綺礼が監督役として、何をやっていたかはだいたい把握している。
報告書を出したりする程度なら、綺礼の筆跡を真似る等、そういうことは得意なのでなんとかなる。
イリヤも協力してくれているので心強いが、それでもやはり、綱渡りだ。
「へぇ…坊主も物好きだな。そんな面倒事背負い込んでまで、オレ達を現界させるなんてよ。」
ランサーが、感心半分、呆れ半分といった風に言ってきた。
「自分でもそう思ってるから、言うな。仕方ないだろ。お前達のこと、好きなんだから。」
思っていることをそのまま伝えたら。
「ふーん。好き、ねぇ…」
なんだか意味深にランサーが呟く。
不思議に思ったが、深くは考えずに俺は。
「あ、そうだ。たまになら派手に闘っても構わないぞ。その方が目を誤魔化せる。」
偽装工作のひとつとして、そんな提案をランサーにする。
「…で、止めは刺すなって?」
ランサーが複雑そうな顔で言ってくる。
「当然。」
俺はきっぱり答えた。
「生殺しなこと、軽く言ってくれる。」
溜息をつきつつ言うランサー。
「お前の気持ちもわかるけど、ま、我慢してくれ。」
俺は苦笑しながら、再び手元の書類に意識を戻した。
俺が今はもう相手をする気が無いのを悟ったのか、
ランサーは音も無く俺の傍を離れて、部屋から出て行った。
こんなものかと出来上がった報告書を纏めていたら。
「お疲れさん。」
そんな言葉と共に、俺の前に置かれたティーカップ。
立ち上る湯気。香りで紅茶だとわかった。
ぱちぱちと瞬いてそれを持ってきた相手、ランサーを見上げる。
「ん?どうした坊主。不味くは無いと思うが。」
「いや…これ、ランサーが淹れてくれたのか?」
「おう。」
「わざわざ?」
「別に、そんなに驚くようなことじゃねぇだろ。」
俺は相当、間抜けな顔をしていたのか。
ランサーは苦笑いしている。
俺は目の前にあるカップに目を落として。
「…有難う、ランサー。」
素直に礼の言葉が出た。
うん、やっぱり嬉しいものだ。大抵俺は準備する側なので。
カップに口をつけて、一口飲む。
普通の紅茶だと思ったそれには、少しアルコールが入っている
ようだった。ウィスキーだろうか。量はそんなに多くは無い。
適量で、なかなか美味い。
こういうアルコールを入れた紅茶は知っているだけで、今まで実際に飲んだことは無かった。
身体が温まる。
「…なぁ。」
ランサーの問い掛ける声に、俺は紅茶を飲みながら、隣に立つランサーに視線を向けて促した。
「坊主、ギルガメッシュの野郎と、できてんのか?」
ぶっ。
瞬間、少し紅茶をふき出した。
今、何を言った、こいつ!?
「おお、お約束な反応だな。」
「けほ。な、何が何だって?」
「だから、坊主とギルガメッシュの関係を訊いてんだが。」
ランサーは至極真面目な顔で、そう言ってくる。
「関係って、見たままだ。
俺は、マシな言い方をすれば、あいつの魔力供給源。
もっと分かりやすく言うなら、あいつの食物。
まぁ10年の付き合いで、身内のようには感じているけど。」
俺ははっきりそう答える。これ以上の関係なんて、無い。
「…成る程。坊主からは、そういう認識か。」
「?」
ランサーは妙な言い方をして、だが納得したように頷き、
「アーチャーの野郎は?」
次の質問。いったい、何なんだ。
「アーチャーは、俺のサーヴァントだろ。」
俺はそれだけ答える。
「それだけか。」
「それ以外の何があるんだ。…形だけとはいえ、主従なんて濃い付き合いだとは思うけどさ。」
俺の返答にランサーは頷く。そして。
「じゃ、オレは?」
ランサーが自分自身を指差しながら、言ってきた。
「ランサー?…綺礼のサーヴァントだった、だろ。」
俺の即答に、がくりと肩を落とすランサー。
「いや、まぁ間違っちゃいねぇが
……そういう答えが返りそうだとは予感してたけどよ。そうじゃなくてだな…」
「…ランサー。さっきから、何が言いたいんだ?」
先程から妙なことを訊いてくるランサーを、訝しげに見上げた俺に。
「あー、やめた。坊主には、真っ直ぐ攻めた方が良さそうだ。」
ランサーはそう言って、俺と視線を合わせ。
「ハッキリ言うぜ。いいか、オレは坊主に惚れてんだよ。
だから、坊主にもオレをそういう対象として、見て欲しいわけだ。」
…は? 誰が、誰に、惚れてるって?
俺は呆然とランサーを見て。
「……なんでさ。」
口にできたのは、それだけだった。
「坊主は男だが、中身に惚れちまったからな。」
「…中身?」
「オレは、坊主の在り方が、気に入ってる。」
はっきりと告げたランサーの目に、冗談の色は見えない。
ランサーの言葉に嘘は無いんだろう。
ランサーは、俺に惚れていると言った。
その意味する所は、解る。知識として理解はしている。
解らないのは、自分がランサーに抱く感情。
俺は、たぶんそういった意味で、誰かを好きになったことは無い。
好き嫌いは普通にあるけれど…。
「…それで、ランサーは俺を、どうしたいんだ。」
気付けばそう、問い掛けていた。
「どうしたいって、そりゃ、惚れた以上は抱きてぇと思ってるが。」
「男同士の性行為に、魔力供給以上の意味が、あるのか?」
ランサーの返答に俺は素朴な疑問を口にしただけだったのだが
途端にランサーは眉を寄せて俺を凝視してくる。
「…なんだよ。」
俺が促せば。
「生殖行動、魔力供給、それ以外の意味は無いって認識か?」
ランサーが問い掛ける。
「…その行為が、愛情表現のひとつだってことは解ってる。でも、意味は無いだろ。」
男同士では何も、生み出さない。快楽はあるだろうが、それだけだ。
その愛情表現に、意味など無いと思う。
…俺の認識は、他の人とずれているんだろうか。
「…坊主の言ってることも、ある意味正しいんだろうが。
オレとしちゃ、意味はある。だから抱きてぇんだが…なかなか手強そうだな、坊主は。」
ランサーはそう言うと、俺の頬に手を伸ばしてきた。
俺は動かずランサーの行動を目で追う。
ランサーは俺の頬に触れて、撫でる。
「なぁ坊主。オレのこと、好きか。」
「…好きだ。」
「あいつらのことも?」
「あいつら…アーチャーとギルガメッシュのことか?」
「ああ。」
「…嫌いなら、お前達を現界させるなんて無茶、やってない。」
「そりゃそうか。…なら坊主は、奴らにオレと同じように惚れてるって言われても、
同じ反応を返すわけか?」
「…ありえないだろ、それ。」
「さぁ、どうだろうな。」
「…解らない。…ランサーが、俺に何を望んでいるのかも。……よく、解らない。」
俺は目を閉じた。触れてくるランサーの手は気持ちいい。
嫌じゃ、ない。
「…ゆっくり考えろ、と言える程の時間があるわけでも無ぇし。
期間限定だとでも思って、なるべく早く、応えてくれると嬉しいんだが。」
ランサーが苦笑する気配に、俺は目を開ける。
「期間、限定?」
「坊主だって、この状態が長く続かねぇことぐらい、理解してるだろうが。」
「あ。」
そうだ。こんな無茶が、いつまでも続かないことは、初めから解っていた、のに。
ランサーに言われて、よくわからない衝撃があった。
そんな俺の様子に何を思ったのか、ランサーが俺の頬を撫でていた手を滑らせ、
顎に手をかけ、俺の顔を少し上向かせた。親指で唇をなぞられて、自然に唇が薄く開く。
「…ランサー。」
「ま、これ位はいいだろ。そのまま口、開いてろ。」
ランサーの顔が、迫る。
何をされるのか解って。
俺は、動かずに、ランサーの唇を受け入れた。
ランサーに触れられるのは、嫌じゃない。
嫌じゃ、ないんだ。……なんで。
「ん、ふ…ぅ…んっ、ん…」
ランサーは遠慮など無く、俺の唇を貪る。
唇に歯を立て、舌を甘く噛み、乱暴に。
唇を舐め、咥内を舌で撫で、優しく。
自分とランサーの唾液が混ざり、濡れた音が響く。
口内に溜まった唾液をこくりと飲み下す。
息苦しくて開いた口を塞ぐように、深く重ね合わされるランサーの唇。
どれぐらい、そうしていたのか。
やっとランサーが離れ、俺は肩で息をした。
濡れた俺の唇を、ランサーが指で拭うように撫でる。
「抵抗、しねぇんだな。士郎。」
そう囁いて、ランサーは軽く俺の目尻に口付けた。
あまりにもさらりと言われて、
俺は名前を呼ばれたのだと気付くのに、少し時間がかかった。
ぱち、と瞬きする。
ランサーは笑って、俺の髪を撫でて、
「いい答え、期待してるぜ。」
そう言って、実にあっさりと俺から離れて、部屋を出て行った。
ひとりになった部屋で、俺は椅子から立ち上がって、
ふらふらとベッドに仰向けに倒れこんだ。
わかったことは、ひとつ。
俺に惚れていると言ったランサーは、遠からず消えて、俺の記憶にしか残らない、という事実。
もし、もう一度ランサーを召喚出来たとしても、そのランサーは今ここにいるランサーじゃない。
そのことが、寂しいと、感じた。
この気持ちが、恋や愛などと呼ぶものなのかどうかは、解らない。
少し顔が熱いのは、アルコールのせいなのか、それとも。
次にランサーが、俺に何か仕掛けてきた時に、俺は今感じたことを、言おうと思った。
自分から進んでランサーに言うのは、なんとなく悔しかった。
それがランサーの望んだ答えになるのかは、解らないが。
「…『何よりもまず互いに熱心に愛し合え』『愛は多くの罪をおおう』、か…。」
バイブルの一節が、浮かぶ。
知識として頭に入っているだけだ。
俺は、愛というものが、よくわからない。
それは、歪んだ愛情をもった者と生きてきたからかもしれないし、
あの大火事によって、俺の中から欠けてしまったモノのひとつかもしれない。
俺は人間として、欠陥品。
そんな俺の中の何かを、確実に、ランサーは開いていった。
その言葉と、行動によって。
欠けたのではなく、それは、
眠っていただけなのかも、しれない。
あの綺礼とあのギルガメッシュに育てられたら、
感情面でどうなるかなーと。今回の槍士ではこんな感じ。
歪むというよりは、喪失のほうになりました。
好き嫌いはあっても、愛情とか言われると首を捻るみたいな。
とりあえず、この話では士郎はきれいなままです(笑)
血液による魔力摂取だけ。
なのでランサーも良い兄貴ヴァージョンで。
ギルに喰われ済みでも気にせずアタックなランサーもいずれ書いてみたいですが。
紅茶の小ネタはアイリッシュウィスキーをつかう、アイリッシュミルクティーを参考に。
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