吐き気がする。 いや、実際吐いていたが。 トイレの便器と向き合ってからどの位の時間が流れたのか。 紀田正臣は、家に戻ってから水の入ったペットボトル片手にトイレに籠もり、 吐いては水分補給、思い出してはまた吐いて、水分補給。 それを延々と繰り返していた。 漸く落ち着いてきて、トイレの壁に背を預けて大きく息を吸って、吐く。咽る。 ■■■ 「気が変わった。」 そんな言葉一つで折原臨也は、とある喫茶店で報告が終わり、立ち去ろうとした正臣の足を止めた。 「……何ですか。」 嫌な予感がしつつも問いかけた正臣に、臨也は毒のある笑みを向けて、とりあえず出ようかと立ち上がった。 喫茶店を出て歩き出す臨也に、正臣は黙ってついていく。 逆らうことができる立場ではない。 どんなに全身が逃げろと叫んでいても、逃げ出すことなど今の正臣にはできなかった。 生活資金の為に、臨也に頭を下げた以上―――。 「…は?」 「だから、最近あまり暇が無くてね。君のその口を使って、ヌいてくれないかなって言ったんだよ。」 人気の無い路地裏に入り込んで、臨也は正臣に淡々と告げた。 すぐに理解出来ず固まる正臣を臨也は壁際に立って見ている。反応を待つように。 意味を正しく理解し、かっと顔が熱くなった。 ふざけるな、そう叫びそうになる口を咄嗟に噛みしめる。強く、強く。口内に血の味が滲むまで。 臨也は愉しげに再び口を開いた。 「無理強いはしないよ?まあこれもアルバイトのようなものだと思えばいいんじゃないかな。勿論この分は上乗せするし。」 どうする?そんな風に臨也は、初めから選択肢など無いのに、逃げ道があるように見せかけながら正臣に選ばせようとする。 正臣は目をきつく閉じて拳を握り締め、小さく息を吐いた。諦めるように。 開いた目は、臨也の姿を映す。 ゆっくりと足を動かして近付き、臨也の足下で膝を折った。 満足そうに笑みを浮かべた臨也の顔は、もう正臣には見えない。 意を決して正臣は、臨也のズボンに手を伸ばした。 ■■■ 「ぅ、え……っ」 再びこみ上げて、正臣は便器にすがりついて吐いた。 口内に含んだソレは、ただただ不快だった。 においも、あじも、最悪だった。 言われた通りに吐き出されたソレを、全て飲み込んだ。 汚すことなく。 口端から溢れたソレも、全て、全て、全て。 どんなに心を殺しても、脳は記憶した。 『ありがとう』そう言った、臨也の声も、全て。 「……なに、やってんだ、俺」 正臣は呟いて、はは、とひきつった笑みを零す。 自分が堪らなく無様だった。 掘られなかっただけマシか、とも思ったが、それもこの分だと時間の問題のような気がする。 それを求められた時、やっぱり自分は受け入れるしかないのだろうとも。 咳き込みながら正臣は瞼を閉じる。 目尻から涙が一粒頬を滑り落ちたが、それが、ただ吐きすぎて苦しかったからか、 自分が惨めで悔しかったからか、自分を哀れんでのものなのか。 正臣には、解らなかった。 初めは普通に帰そうと思ってたけど気が変わったので苛めてみた、そんな臨也と、ひたすら哀れな正臣。 …拙い、愉しい。