「俺、酷いよな。ごめん、アーチャー。」 その謝罪が何に対してのものなのか、薄々感じてはいた。 衛宮士郎が何を世界に差し出してアーチャーを召喚したのか、 考えるまでもないことだ。 その存在が、徐々に、世界に融けこむように希薄になっていく、錯覚。 ただの錯覚ではないそれを、苦い感情で、だがアーチャーは受け止めた。 衛宮士郎が、そうまでしなければ、今の自分達の関係は無いのだと、理解していたからだ。 目が覚める。 それは、夢。在りし日の前世の記憶だった。 普段は曖昧な記憶も、夢でははっきりと現れる。 アーチャーは布団から起き上がり、隣の部屋へ繋がる襖をそっと開けた。 そこには静かに眠る兄、衛宮士郎の姿。 その姿を目に留めて、アーチャーは安堵の溜息を小さくついた。 温かい感情が胸を満たす。 守護者から解放され、英霊エミヤの一部、<衛宮士郎と共に在った分体>が 輪廻の輪に戻り、衛宮士郎の双子の弟として転生した。 それが今のアーチャーだ。 今があるのは全て、この衛宮士郎がアーチャーの為だけに生きた結果。 アーチャーの為と望んだのは間違いなく、衛宮士郎自身の願いだった。 だからそれは、他人ではなく自身の為に生きた結果ともいえるだろう。 そんな今をアーチャーは心から大切に想う。 切り捨てたものは数え切れない。それでも。 ―――数多の者達への謝罪と、共に生きてゆける、この刻に感謝を。 衛宮家の台所は、ここ数日、甘い匂いで包まれている。 3月14日、ホワイトデーの準備で、菓子づくりは士郎の方はあまり得意ではなかったが、 期待された以上はそれに応えないわけにはいかないと、本番にむけて猛特訓をしていた為だ。 シロウ―アーチャーは菓子づくりも士郎より上で、兄である士郎としては複雑だったが 意地を張っても仕方が無いと、アーチャーに教わりながら様々な菓子をつくってみていた。 試食は主にアイリと切嗣の役目で。 渡す相手の数は、多くもなく少なくもなく。バレンタインの日のお返しとして。 その中で、二人にとって特別な二人には親愛を込めて。 その二人は、士郎とアーチャーにとって、切ない痛みを思い起こさせるが大切な存在である。 二人には前世の記憶があるが、それは主に互いのことに関して、それも感情の部分という限定されたもので、 その他の事柄については記憶というほどハッキリしたものではなかった。 それでも出逢うことで、特別な感情を抱いていた相手だということがわかった。 ひとりは、二人の妹であるイリヤスフィール。 もうひとりは、遠坂凛という少女。 二人の少女に対し抱く想いには、士郎とアーチャーで違いはあったが、 大切な相手という点では同じだった。 どうか幸せにと、そんな風に思う少女達。 ホワイトデー前の休日に、この二人には先に渡すことにしていた。 そしてその休日。 テーブルの上に所狭しと置かれた、色とりどりの様々なミニサイズのケーキを前に、 イリヤは目を輝かせていた。色んな味を楽しめた方がいいだろうと、士郎とアーチャー、 二人で決めて、イリヤにはこの形にしたのだ。 バレンタインの日、イリヤには手作りのチョコレートを貰った。 悪戦苦闘しながらも頑張ってつくってくれた、その気持ちが、士郎もアーチャーも嬉しかった。 「好きなだけ食べていいからな、イリヤ。」 「バレンタインのお返しだ。」 士郎とアーチャーが交互に言って、そっとイリヤの頭を撫でる。 イリヤは満面の笑みを浮かべて、 「ありがとう、お兄ちゃん、シロウ!」 嬉しそうに言って、二人に抱きついた。 しばらく士郎とアーチャーは美味しそうにケーキを頬張るイリヤを見守っていたが、 ふいに士郎が、これから死地にでも向かうかのような表情で立ち上がるのを、 目にとめたイリヤが不思議そうに、 「お兄ちゃん、どうしたの?」 そう小首を傾げながら訊いた。 「ああ。これから、遠坂の所にあれ、届けに行ってくる。」 士郎は部屋の隅に置かれた大き目の紙袋を指しながら言った。 「リンの所……あ、そっか。リンから凄いもの貰っていたものね、お兄ちゃんたち。」 イリヤはそれが自分と同じお返しなのだと納得したようだが、少し拗ねた感じで言う。 そんなイリヤに苦い笑みを見せながら士郎はアーチャーに視線を移して。 「でも、なんでおまえは行かないんだよ、シロウ。」 そう文句を言った。 女の子の家に休日、押しかけるなんて落ち着かない。 それを受けてアーチャーは、男二人で女性の家に押しかけるのも悪いだろうと言った後、 「おまえが適任だ。オレが行けば喧嘩腰になるのは、目に見えているからな。」 さらりと口にして、さっさと行ってこいと手をふる。 確かに遠坂とアーチャーは、仲が悪いわけではないんだろう、いや、むしろ仲はいいのかもしれないが、 会えばいつも何かしら言い合っている。 大抵アーチャーが皮肉めいたことを言って、遠坂がそれに噛み付くという感じだ。 どういう結果になるか想像できるだけに、士郎はぐ、と黙り込んだ。 そうして、はぁと諦めたように息を吐いて、 「それじゃ、行ってくる。」 二人に声をかけてから、士郎は紙袋を持って部屋を出た。 ――A 「オレだけでは不服か、イリヤ。」 明らかにふくれているイリヤにアーチャーが声をかける。 イリヤはしばし迷ったあと、こくりと頷いた。 仕方ないなとアーチャーは困ったように笑って。 「ケーキとは別に、用意したものがあるんだが。」 そう言ってイリヤの返答を待たず、それを取りに席を立った。 程なくして、小さな包みを持ってアーチャーが戻ってくる。 イリヤはぱち、と大きな目を瞬かせてアーチャーを見た。 「大したものではないが。」 前置きをひとつして、アーチャーはイリヤに持ってきた包みを手渡す。 「開けてもいい?」 訊いてくるイリヤにアーチャーはああと頷く。 イリヤはその包みを開けて、中に入っているものを取り出した。 それは、手触りの良い、深紅のリボン。 「イリヤの瞳の色と合わせてみたんだが。髪の色にも映えると思う。 食事をする時には髪を纏めていた方がいい。汚さずにすむからな。 イリヤさえよければ、オレが今から結おうか?」 アーチャーの言葉にイリヤは柔らかく微笑んで頷き、 手に持っていたリボンをアーチャーに手渡して、くるりと背中を向けた。 揺れる白銀にアーチャーはそっと優しく触れて。 「……そうだな。三つ編みにしても構わないか。」 「ん。シロウの好きにしていいよ。」 イリヤの了解を得て、アーチャーはサイドを少し残して髪の束を三つつくり、 それを器用に編んでいった。 イリヤは目を閉じて完成を待つ。 こんな風に兄に髪を結われるのは勿論初めてで、くすぐったい気もしたけれど、 温かくもあって幸せな気持ちになる。 下まで編み終わり、最後にリボンを結んで。 「できたぞ。」 アーチャーはそうイリヤに声をかける。 イリヤは立ち上がり、踊る様に回ってみた。 視界の端に見えた、三つ編みとリボン。 「少しは機嫌をなおしてくれたか。」 「…そうね。シロウに免じて許してあげる!」 「それは良かった。イリヤには、笑っていてほしいからな。」 イリヤは悪戯っぽく笑ったあと、アーチャーの座る膝の上に背中を向けて座った。 そして再び机の上のケーキと向き合う。 その姿をアーチャーは見守った。 本当に、救えて良かったと思う。 前世ではイリヤを救えなかったという事実だけが自分の中に傷跡として残っていて。 その事実を苦い想いで受け止めていた自分がいた。 救えなかったイリヤとは別の存在だが、それでも。 こうして笑うイリヤと共にいられることを素直に嬉しく思う。 後ろからゆったりイリヤに腕をまわすと、イリヤはアーチャーに体重を預けてきた。 小さな体。人に似て、人ではない体。 どれぐらい生きられるのかはわからないが、どうか最期まで幸せに。 アーチャーはそんな想いを込めて、そっとイリヤの頭を撫でた。 イリヤは目を閉じて、そんなアーチャーに甘えた。 ――S 遠坂邸の門前。 士郎は深呼吸して、遠坂凛が出てくるのを待った。 緊張する。 聖杯戦争を経て、ある意味距離は縮まったが、それでもやはり緊張する。 今、彼女に対して抱く想いは恋愛のそれではないが、意識せずにはいられない。 アーチャーは自分が適任だと言ったが、そんなことはないと士郎は思う。 今更、だが。 「士郎。」 名前を呼ばれて顔を上げた士郎は、遠坂凛の姿を目にして心拍数が上がるのを自覚した。 情けないと思いつつ一度、は、と息を吐いた。 「休みの日に、悪い。」 「別にいいわよ。さっき電話で渡すものがあるって言っていたけど……何?」 「ああ。これ、バレンタインのお返し。」 士郎は持ってきた紙袋を凛に差し出した。 凛は何度か瞬いた後、ぽん、と納得したように手を打つ。 「わざわざ持ってきてくれたんだ。」 凛は少し意外そうにしながらも、差し出された紙袋を受け取る。 「学校で渡すなんて怖い真似できるか。」 周りに何を言われるかわかったものじゃない、と士郎が言うと、 それもそうかと凛は頷き、紙袋の中を覗く。 「一応、俺と弟との合作だ。遠坂に負けないモノ、つくれたと思うけど。」 凛から貰ったのはチョコレートケーキだった。 見た目も味も、言う事無しで、 ホワイトデー期待してるわ、と言った彼女の勝ち誇った顔をはっきり思い出せる。 「それは食べてみれば、わかるわね。…そういえば、あいつは来なかったんだ。」 凛が特別感情をのせず、言ってくる。 「ああ。どうせまた喧嘩腰になるだろうからってさ。」 士郎の答えに凛は、う、と気まずそうな顔を一瞬見せたが、すぐに、 「そう。来なくて良かったわ。」 などと吐き捨てるように言って、ふいと横を向いた。 やっぱりこれはこれで仲がいいんだろうなと思って、士郎はつい苦笑を零した。 「それより士郎、少しあがっていきなさいよ。これの感想、聞きたいでしょ?」 凛はこれ、と受け取った紙袋を少し掲げてみせて、にこりと笑う。 それは拒否を許さない笑顔。 言うが早いか士郎の返答を聞く事もなく、凛は玄関のドアの向こうに消えた。 「……………。」 しばらく呆然と立ち尽くした後、無視して帰った場合の報復を想像して。 「……はぁ。」 大きく溜息をついた士郎は、のろのろと遠坂邸の玄関をくぐった。 居間に案内される。 凛が紅茶を用意し始めたので、士郎はナイフを借りて、ケーキを切り分けることにした。 紅茶は二人分用意されたので士郎も皿を二つ用意して、八分の一の大きさに切って、皿にのせた。 お互い向かい合わせにソファーに座る。 テーブルの上には、ケーキと紅茶。 「それじゃ、いただきます。」 凛はそう言ってフォークをケーキにいれて一口、口に運んだ。 それを士郎は緊張しつつ見守る。 つくったのは、シンプルな生クリームのデコレーションケーキだ。 味わうようにゆっくり口を動かしたあと、ごくんと凛の喉が動く。 そうして、うん、と頷いて、 「スポンジは互角、かな。クリームの方は…わたしの方が上だと感じたけれど。 まあ、つくったケーキの種類が違うから一概には言えないか。どうかしら、衛宮くん?」 「…ぐ。」 士郎は反論できず、押し黙った。 それは自分も抱いた感想だったからで。 「……ちなみに、クリーム担当が俺で、スポンジ担当は弟だ。」 それだけ言って、士郎も一口食べた。 それを聞いた凛の表情が微妙なものに変わる。 そして、なんか腹が立つわね、と不本意そうに呟きながらも、目の前のケーキをつつき始めた。 その様子を見て、 「遠坂って、あいつには俺以上に厳しいよな。」 笑い混じりに士郎が言えば。 「別に、嫌いなわけじゃ、ないのよ。ただ気に喰わないだけで…あいつ、女誑しっぽいし。」 凛はそんな風にさらりと答えてくる。 これもある種の因縁かと士郎がアーチャーに僅かに同情していると。 「ありがとう。色々言ったけれど、純粋に嬉しいのよ? わたしの為に、つくってくれたんだもの。その気持ちが嬉しい。」 にこりと凛は微笑んで言った。 完全な不意打ちで、思わず士郎は固まる。 こんな風に笑いかけられるのは、本当に、困る。慣れない。 「喜んでもらえたなら、良かった。あいつにも言っておく。」 それだけ言って、士郎は凛から視線を外して、もそもそとケーキを口に運んだ。 その様子を楽しそうに見た後、凛は 「でも二人の合作とはね。本当に仲がいいわよね、あなたたち。」 意地悪げに、にやりと笑って士郎に問い掛けてきた。 士郎はぎくりとする。 どうも凛には、アーチャーとの関係に感づかれているような気がして、恐ろしい。 「あなたたちって結構人気があるのよ?なのに二人の仲が良すぎて 間に入り込めないって、みんな言ってるわ。」 くすくす笑いながら凛は言う。 聖杯戦争を経て距離が縮まったせいか、凛は遠慮がなくなった。 こうして士郎は凛にからかわれることが多くなり。 情けないとは思うが、そういった、互いに遠慮が無い関係というのは心地よくもあって、 結局士郎は、今のこの関係を大切なものだと感じている。 「そういう遠坂だって、凄く人気があるぞ。俺も遠坂のこと、好きだし。」 なので、お返しに士郎は自分のありのままの気持ちを告げてみた。 そうしたら、凛は息を呑んで、目を僅かに見開き、頬をうっすらと赤く染めて。 その後面白くなさそうに目を眇めて。 「…他意が無いことはわかってるけど。そういう、人が勘違いしそうなことを、簡単に言わないで。」 そう告げて、凛は再びケーキを口に運び始めた。 「俺、おかしなこと言ったか?」 「ああもう、いいわよ!ほんと、性質が悪いんだからっ!」 凛が怒る理由は士郎にはわからなかったが、とりあえず置いておくことにした。 彼女に強く憧れていたような想いの記憶が自分の中には残っている。 そして、そんな彼女に背を向けて、戻れない道を自分は歩んだ。 彼女は最後には笑って、仕方が無いわねと背中を押してくれた。 それが、どれだけ力になったか、彼女に伝わっていただろうか。 今となってはわからない。 彼女と、ここにいる遠坂凛とは別の存在だが、いつだって幸せを祈っている。 聖杯戦争、無事に生き残れて良かった。 こうして変わらず、彼女と時を過ごせることを噛み締めながら。 「…士郎。なに笑ってるのよ。」 「え、俺、笑ってたか?」 「笑ってる。ま、いいわ。」 凛もつられたのか、笑顔を見せて。 あとの時間は、穏やかに過ぎていった。 ――― 前世の記憶があるからこその、幸福すぎる今という日々。 いつかその日々に終わりは訪れるだろう。 その時まで、その日々を大切に生きていこうと。 それは、士郎とアーチャー、二人が抱く共通した想い。 013013キリリク。双子弓士でイリヤと凛まじえてのノーマル。 自分はつくづくホモ書きなんだと思いました。 ノーマル好きなんですがね、女の子書くの難しい、よ…! それでもなんとかいろいろ考えて、こんな感じになりました。 このあと、士郎もイリヤにちゃんと別のプレゼントを用意していて、 一緒に用意したわけでもないのに、アーチャーとまったく同じだったり、 翌日、凛とアーチャーの間で、いつもとかわらないやりとりがあったりも。 こんなものになりましたが、少しでも楽しんで読んでいただけたら嬉しいです。 013013リクエスト、ありがとうございました!!